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夢を諦めたわけではないんだよ

最近いい意味で、元に戻ることができた気がしている。「私」に向かって「ただいま」って言えるというか、「私」に帰ってきた感じがする。誰かの言葉を借りていうならば、これが「らしさ」なんだろうと思う。ちょっと前は「私らしさ」とか「私の強み」とかがわからなかったのだけどね。

過去の私は、ゴールが決まっていると、頭の中で逆算して、あれをやってこれをやって、いつまでにここにたどり着く、という道筋を立てて行動していた。そういう理解だけは早かったからだ。だけど、私はそうやって頭の中で道筋を立ててやると、たいていの場合うまくいかない。というか、思考に邪魔されて、かえって動けなくなるのだ。

例えば、「出版したい」という夢を掲げたときも、その条件を満たすことを理解しすぎて、自分の書きたいことや想いを置き去りにしてちょっとしんどくなってしまった。努力をする、というのも、頑張る、というのも、頭では理解しているのに、行動が伴わなくて苦しくなったのだ。だから、私は「思考優位」の生き方を一旦、手放すことにした。

人の話を聞いていると、フラットに捉えて理解するのが早いのが私の強みでもあるから、どこかで「思考優位」の生き方が、私には合ってると思っていたのだけれど、子供みたいに感情まかせな生き方をしている方が、どうやら「らしく」あれて、「強み」なのだと周りは言う。そして、そのことがやっと、自分でもわかるようになったのだ。

だから今の私は子供みたいに、単純に「好き」なことをして生きている。そして伝えたい想いが生まれれば、こうしてnoteに「想い」を書いてみたりする。それがとっても心地いいのだ。

先にゴールを見据えて、逆算して生きていくのも効率的だし、誰かに正解を教えてもらって、それをマネしていきていくのも成果をだしやすいのかもしれない。だけど、そういう生き方に、私はドキドキ・ワクワクしないのだ。

間違いだらけの人生だとしても、誰も歩まない道のりでも、私だからできたことを増やすことや、私だから伝えられることを見つけたときの方が、私はとってもドキドキ・ワクワクして胸アツになる。それは夢を叶えることよりも、幸せなのかもしれないなって最近思うようになったのだ。だって、毎日が好きで溢れていて、伝えたい想いが溢れてくるのだから。

だけど、だからといって、夢を諦めたわけではないんだよ。私はやっぱり、本を出してみませんか?って言われる日が来るのを夢見ている。好きな事をしている連続の先に、私らしさが開花できたとき、きっとその道が来るのだと思うようになったのだ。

今は負け試合ばかりかもしれないし、誰からの「すごい」も、もらえないかもしれない。それでも、好きは私を裏切らないということを、証明したい。好きを集めた毎日の先に、きっと私の夢が叶う日が来る。私はそう信じて、今日も私の人生に私の「好き」を集めていく。


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