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それぞれの毎日(1)みなと


《あらすじ》
30代半ばになって未経験の警備業界に飛び込んだ女性「仁科みなと」を主人公に、警備会社の上司や同僚たちとの関わりあい、現場でのできごとといった毎日を書いた四部作です。


仁科みなとは18歳で飲食業界に入り、レストランやケーキ店を経て、24歳の頃に空港内のカフェに落ちつき、気がつけばもう35歳になっていた。

1年前に副店長を任されて以来、空港全体のテナント会議にも顔を出し、接客だけではなく管理業務にも携わり、責任というものも増え、悩みつつもやりがいを感じていた。

しかし、人生の転機・転落・変化というものは唐突にくる。同僚が、みなとからパワハラを受けたと言いだしたのだ。

彼女は確かに仕事について多少厳しい面があり、疎ましく思う者もいた。だが、みなとが同僚の仕事に口を出すのは相手の成長を願う気持ちによるもので、彼女が彼らを全否定しているわけでもなければ、ましてやいじめ・パワハラだという意識はなかったのだ。

この辺のくだりはこれからの展開上、さほど重要ではないので簡潔に済ませてしまうと、実際にその同僚に対するパワハラをしていた人間は別の者であった。それにもかかわらず、みなとは騒動の2か月後には、長年勤めたカフェを去る羽目になった。

自分のためになる助言や叱咤よりも、甘ったるく心地よい言葉に包まれていたい。そんな人たちにとって今回のパワハラ騒動は、小うるさい――というより、目端が利くだけなのだが――みなとを追い出すいいチャンスだった。

カフェ勤務最後の日。帰りの電車から見る景色はいつもと変わらないけれど、明日からこれが当たり前ではなくなる。みなとはこのままひと月ぐらい休みたい気もしたが、そうすると堕落した日々に慣れてしまいそうで怖かった。

――どうしようか、これから……
切れ長の瞳を曇らせながら考えるみなと。今回の件で、みなとはつくづく女性だらけの職場がイヤになった。そもそもそれほど流行やファッションなどに関心のない彼女にしてみれば、その手の話につきあうだけでも疲れてしまう。

――今度はあんまり女がいないところがいいな……
などと考えながら、次の駅で降りるために立ち上がったとき。なにげなく見上げたビルの3階あたりが、みなとの両目にまっすぐ入り込んできた。
――あれ?あんなの、あった?

【 ★ 警備員 大募集 ★ 】

窓ガラスに大きく貼られた白い紙が、夕陽を受けて輝いているように見えた。
――飲食業以外の仕事って今まで考えたこともなかったけど……おもしろいかも?

空港警備員が施設内を闊歩するのを見かけると、ああいうのもいいなと思ったこともあった。
――応募してみようかな。「物は試し」っていうし。

決めたあとの行動は早かった。みなとは帰宅後、気が変わらないうちにその警備会社に電話をして、翌日には履歴書を持ってビルの前にいた。

「恐れ入ります、きのうお電話いたしました仁科と申します」
「はーい、開いてますからどうぞ~」
インターホンを押して話すと、前の日に電話をしたときと同じ、明るい男性の声が返ってきた。
「はい、失礼いたします!」
緊張しつつも、ついにみなとは事務所の中に足を踏み入れた。

「どうぞ、こちらにおかけください」
警備会社を訪ねたみなとを迎えたのは、いたって声は明るいものの、眼鏡越しの瞳はなかなか鋭く、背が高い上に恰幅がよく、見ようによってはマフィアのボスみたいな男だった。

「は、はい、ありがとうございます」
冷や汗をかきながら、すすめられたソファに座るみなと。
――あ、あれ、この人ホントに電話の……?でも同じ声だし……ここは、うぐいす警備さん、だよね?

緊張と若干の恐怖で慌てるみなとに、ボスは名刺を差し出した。受け取った
名刺をしっかり確認する。
――うぐいす警備会社……合ってる。代表取締役、若草営業所所長、大熊剛一郎……ほぼ名前通り、強そうな感じ……?

「どうかしましたか」
「いいえぇ」
別に大熊は怒っているワケではないのだが、彼に鋭い目を向けられると、みなとはやはり動揺してしまうのだった。

「なるほど、ずっと飲食業をなさってて。警備業は初めてなんですね」
「はい」
――この人、意外と紳士的かも。とりあえず、今のところ『客相手』だからかな……

いくつか大熊に質問されて答えているうちに、この場に慣れてきたみなとは彼の観察を始めていた。
――でも、なんとなく視線そらされるんだよなぁ。他人は興味ない感じ?

「運転免許は……お持ちではない、と」
みなとの履歴書を確認しながら話す大熊の、声のトーンが一瞬落ちた気がした。
「あっ、やっぱり免許がないとダメなんでしょうか?」
――もしかして落選?ダメ元で来てるから、それならそれでしょうがないけど。

採用されたいような、落ちてほしいような複雑なみなとの思いをよそに、大熊はにっこり笑って答える。

「いいえ。基本的にうちは全員採用ですから心配しないでください。仁科さんのことも、お断りする理由がありませんよ。それに、免許持ってない隊員なら、ほかにも何人かいるんで」
「……隊員?」
「そう。自衛隊みたいでしょ。仁科さんも契約済んだらうちの隊員ですから、頼みますよ」

ついさっきまでのみなとには、どこぞの怖いボスとしか思えなかった大熊が、『採用』という言葉を聞いてから、奈良の大仏や恵比寿様のように見えてきた。

――そ、そうだよねえ。ああいう世界のひとも、ボスはかえって紳士的だったりしたもんね。
まだみなとが空港のカフェにいたとき、同僚に難癖つけようとするチンピラを、そこの頭らしき人間がたしなめているのを見たことがあった。

「わかりました!ありがとうございます」
仕事がすぐ見つかり安心したみなとは、テーブルにぶつけそうな勢いで頭を下げた。

「ところで……」
みなとが頭を上げる前に、大熊はさらりと尋ねた。
「うちは、いわゆる交通誘導がメインですけど、よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
面接に通った時点で舞い上がっていたみなとは、交通誘導の意味をさして考えもせずに、満面の笑みを浮かべて了承の返事をした。

「それじゃ、明日の朝8時から新任教育ですので。あと、なるべく早めに指定の書類を持ってきてくださいね~」
「はい。明日から、よろしくお願いします」

丁寧に礼をして事務所を出て行くみなとが見えなくなるまで、大熊は窓からにこにこと手を振っていた。そこへ、外から戻ってきた青白い顔で細身の男が声をかける。
「く~まちゃ~ん」
「あっ?ああ……お疲れさん」
大熊が振り返ったらまさに『くま』そのものだったが、青白い男はちっとも恐がりもせずに話し続ける。

「な~に、今の女入れたの?」
「もちろん。うちは雇用100%ですよ」
「大丈夫かい?今度は続くんだろうねぇ?」
「まぁ……こんな青白い小椋さんでさえ今や課長なんだから、大丈夫でしょ」
「小椋さんでさえってのはなんだ、青白いとか」

青白い小椋は大熊にからかわれると、怒りで顔を赤くした。いつもその極端な変わりようがおかしくて、大熊は笑いをこらえるのに苦しんでいた。

「そんなまた赤くなっちゃって。そうやって青くなったり赤くなったりすっから『信号機』なんて言われんですよ」
「オレの顔なんてどうでもいいんだよ。それよりくまちゃん、いい加減うちにまともなヤツ入れてくれよなぁ。カンタンに辞められたら仕事回らねえからよ」

小椋は言われたくないあだ名に触れられて悔しがりつつも、会社に隊員が定着しづらい現状を心配していた。大熊は、今さら人が離れるのは慣れたことと、案外のんびり構えている。

「うーん。まあ、明日から彼女の新任教育だからよろしくね。中原さんにも伝えといて。制服合わせんのは女性同士のほうがいいだろうしさ」
そう言いながら、大熊は車のカギを取り出した。

「なあに、くまちゃんもう帰るのか」
「本社に行く用事があるからね」
「そっか。帰ってきたら美樹ちゃん怒るだろうなぁ、『女なんて続かないんだから断ればいいのに』って……自分も女なの、忘れてるからな」

ため息をつきながらコーヒーを淹れて自席に戻る小椋を尻目に、大熊は出口へ向かう。

「じゃ小椋さん、あとは頼むね。鬼が来る前に帰りますから」
「了解だよ~、ちゃんと美樹ちゃんに伝えとく~。鬼が来る前に帰るって言ってたよ~って」
「そーじゃねぇよ……ったくもう。じゃあね」

朝7時50分頃。みなとは少し緊張気味に会社のビル前に立っていた。
「なんか~御用っすかぁ~?」
ふと、後ろからずいぶんガサツな女性の声がした。

「あっ?!」
みなとが振り返るのとほぼ同時に、その女性は素っ頓狂なハスキーボイスをあげた。
「あ~、まさかあんた??今日からうちに来る……え~と、やまとじゃねえし」
「仁科みなとです。よろ……」

みなとのあいさつも終わらぬうちに、紺色の警備服を着た彼女は、柔らかくてクセのあるショートヘアをぐしゃっと掻きながら、無邪気に続けた。
「そうそう、みなとさんだ。ごめんオレ、名前とか覚えんのダメでサ」

――え?オレ?
「いえいえ、それはかまいませんよ」
みなとの今までの職場にも、友人にも、自分をオレと呼ぶ女性はいなかったので、彼女にはなかなか新鮮だった。

「ふ~ん、へぇ~、なるほどねぇ~」
警備服の女性は物珍しそうにぐるぐるとみなとを眺め回したあげく、
「じゃっ!またあとで。新任教育遅れんなよ」
そう言うと、さっさとビルに入ってしまった。

「えっ!?」
――そうだ、さっき50分ぐらいだったよねえ……
時計を見ると、7時59分。
――やだァ、初日から遅刻なんて勘弁してよ~!
慌ててビルに飛び込むみなとだった。

大熊が時計を指さして笑っている。
「なぁんだ、中原さん。仁科さんに入り口で会ったんなら、一緒に連れてきてくれてもいいじゃないっすかぁ」
「別に、オレがいなくたってひとりで入れるだろ。甘やかす必要ねぇよ」
先ほど、みなとが出会った荒っぽい女性――中原美樹が、鼻で笑いながら煙草をふかした。

「しっかし、あんなか細い女、いつまでもつのかねぇ」
整っている顔を不満げにゆがめ、美樹は自分の席に着く。
「まあまあ。誰だって、やってみないとわからないでしょう――ほら、来ましたよ。少し遅いけど」

大熊が入り口に目をやると、階段を上がってようやく3階まで着いたみなとが扉を開けた。みなとからすると、大きな体に威圧感満載の大熊が『初日から遅れやがって』といわんばかりに目をむいているように見えたので、焦って頭を下げた。

「おはようございます、遅くなって申し訳ありません!」
「おはよう。中原さんに聞きましたからわかってますよ。では始めましょうか」
みなとが顔を上げたら、大熊は昨日と同じように穏やかだった。
「はいっ」
――よかった。初日から怒られるかと思ったよ、怖かったぁ~

大熊が怒っていなかったことで安心したみなとに、とっくに自席についている美樹が言う。
「あれ?エレベーターつかまらんかった?」
彼女の机には【係長】と書いてある。

「そうなんですよ。だから階段のほうが早いかと思って、走ってきました」
華奢に見えても、みなとは体力には自信があった。おでこに汗を光らせて美樹に頭を下げると、みなとは促されるまま大熊のあとをついていった。

――ほ~……走ったわりに、息切れてねぇのな。
研修室に消えるみなとを目で追い、美樹は一瞬微笑みかけたが、再び顔を引き締める。
――いやぁ、ああいう『お嬢さん』は、すぐいなくなるんだ……笑ってられんのは今だけさ。

ふいに、所属隊員からの電話が鳴った。誰からかわかったとたん、美樹のせっかくの綺麗な顔が、白目をむいた山姥に豹変する。
「あぁっ!?寝坊しただァ?これで何度目なんだよ、てめぇは!とっとと用意して直行しなッ!向こうさんにはオレから連絡すっから、ばっくれんなよ!!」

相手の弁解を許さず怒鳴り散らす美樹の声と、受話器が割れそうな勢いで置かれる音が、研修室で教育を受けているみなとの耳にもかすかに届く。
――わぁ……彼女さっぱりしてて、よさそうなヒトだけど、怒るとすごいな……

「驚きました?」
みなとが引きつるのを察知すると、大熊は変わらない笑顔で言った。
「中原さん、うちの会社に棲む鬼ですから。悪い人じゃないんだけど、怒らせたら怖いんで、気をつけてくださいね」
「そのようですねぇ……」

空港という特殊な場所で、今までそれなりにいろいろな人を見てきたみなとだが、それでも少しだけ、この先に不安を覚えたのだった。


それぞれの毎日(2)浦安とみなと
(第2話):https://note.com/miramiz3/n/n99678edfbf6a

それぞれの毎日(3)美樹とみなと
(第3話):https://note.com/miramiz3/n/n9d9ca09b64cf

それぞれの毎日(4)堀田とみなと
(第4話):https://note.com/miramiz3/n/nc5ef30bec161

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