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それぞれの毎日(3)美樹とみなと

――こ、このひとだけは怒らせないようにしなきゃ……
冷や汗をかきながら、みなとはそっと隣の運転席を見る。小椋と現場に出た初日以外、はじめの数ヶ月は毎日そういう感じだった。しかし、ほかのメンバーが黙っていなかった。

「ちょっと~、中原さぁ~ん。大丈夫~?こんなんじゃ、現場に着くまでに日が暮れちゃうよ~?交代しよっか~?」
じれったくなった浦安が苦笑すると、さらにあの山野も進言する。
「美樹ちゃん、なんならオレ運転代わるよ~?」

そうは言うが、からかうだけで運転を代わるつもりなど、さらさらない2人だ。それを十分わかっている美樹の横顔が、だんだん険しくなってくる。美樹の隣にいるみなとは、祈るように心の中で叫んでいた。
――やばい。これはとってもマズい!2人とも、もう黙って~!!

「うるせぇな、このオヤジどもが!オレの運転に文句あるなら交差点の真ん中で降ろすぞ!!現場まで走って来いってんだ!!」
おじさん2人に煽られた美樹は、この日も朝から大噴火。

さすがに交差点では降ろさなかったが、美樹はよほど腹に据えかねたのか、現場付近のコンビニで買い物をしている隙に、彼らを置き去りにしてしまった。

「うっそ――!!ちょ、中原さぁ~ん!!待って~!!」
「美樹ちゃん、マジかよ、勘弁してよ~!」
2人が気づいたときには、美樹とみなとの乗った社用車は、すでに駐車場から抜けようとしていた。

「ほ、ほんとに置いてくんですかぁ!?」
さすがにみなとも、慌てて駆けてくる2人が気の毒で、美樹に尋ねる。
「ああ、いいんだよ。あいつらなら心配ねえから」
美樹は、浦安は基本的にまじめだし、山野に至ってはここを辞めても他に行けるところがないから、放置しても食らいついてくるだろうと踏んでいた。

ウィンドウを開けて顔を出し、目を吊り上げて笑いながら怒鳴る美樹。
「そこの信号曲がってすぐだ!!オレの運転より、歩いたほうが早いんだもんなァ?!待ってっからな!」

鬼の形相で言い放ったあとはスッキリしたのか、美樹はみなとに何ごともなかったように振り返り、いたずらを企むような笑顔を見せた。
「あいつらサルみてぇだったな?さーて、時間に間に合うのかね~?」
「あ……はは……」
――あんまり、余計なことは言わないようにしよっと……

最初の頃、みなとは美樹の調子に合わせながら、ほかの隊員たちとの話しぶりで、どの程度まで突っ込んだら彼女の逆鱗に触れるのかを、よく観察していた。それもあって、みなとは少しずつ美樹との距離を縮められた。

入社して数ヶ月が経ち、うまく幹部や隊員たちとつきあえるようになってきたみなとだったが、仕事の面では、美樹に厳しく言われることはまだまだ多かった。

「こら――!!また規制から出てる!!危ねぇだろーが!!轢かれんぞ」
「ひゃ――!!す、すみませんっ、つい、止めなきゃって思って」
「気持ちはわかっけど、ヤジ板より前に出たらダメだ!!死にてぇのか!?」

規制の中間で全方向に神経を注ぐ美樹の声が、無線をとおして容赦なく飛ぶ。美樹の言う『ヤジ板』は「矢印板」のことで、車などに進行方向を示すために、交通規制の両端に設置するものだ。

どうしても車を停止させないと、相方に迷惑をかけてしまう。そう思うとつい前に出てしまいがちだが、必ず止まってくれる保証はない。

警察官と警備員では、強制力がまったく違う。強制力を持つ警察官は、道路交通法により、指示に従わない運転手を罰することができる。一方、警備員には、法的拘束力はない。道路交通法に従って「誘導」をするにすぎない。「止まれ」と言える警察官とは違い、あくまでドライバーに「止まってください」とお願いして停止してもらうのだ。

そのせいか警備員は、ドライバーだけでなく、得意先の作業員にも見下されることがある。親切な業者のほうが圧倒的に多いけれども、どことなく古い気質が残っている建設業界。中には平気でこう言ってくる人たちもいる。

「お前らなんか、カラーコーンと同じなんだよ」
「女がくると、トイレとかメンドくせーんだよなぁ。男なら、そこらでちゃっちゃとさせんのによ」

悪態をついて警備員を侮辱するような作業員を美樹が目にしてしまうと、大変なことになる。相手が親方だろうが、チンピラや半グレであろうが、首根っこを捕まえて叱りつけるのが美樹だ。技量も見ずに、外見や性別で判断するような相手には容赦しない。

「あのさァ?あんた今どき『男女雇用機会均等法』も知らねーの?女だから仕事になんねーとか、くだらん理由でうちの隊員に因縁つけんなや。おたくの代理人に言いつけて、出禁にしてもらうぞ??いいのかぁ?!」

そう言う美樹も少し前までは、どちらかといえば女性警備員は使えないと思っていた。それは、興味本位で気楽に入ってきては、仕事がキツくてすぐ辞めてしまうような女性が多かったのと、なんだかんだいって体力面を考えると、女性隊員たちに無理な出勤を頼めないためだ。

ところがこのごろ、美樹の心境に変化が現れた。今までは隊員の入れ替わりが激しく、自分自身が若かったこともあり、後進の育成にはあまり関心がなかった美樹。

しかし、もう37というそれなりの年齢になったのと、みなとが入社したあたりから辞める隊員が減ってきたのもあり、多少のことでへこたれずに乗り切れるような人間であれば、男女・年齢関係なく育てようと決めたのだ。

入社から数ヶ月たち、すっかり片交の要領を覚え、大きく重い紅白旗をなびかせるみなと。彼女の存在が、美樹の意識を変えたところはある。

美樹は当初、白い肌でいかにも温室育ちに見えるみなとのことだから、警備のキツい仕事が続けられずに逃げ出すだろうと決めつけていた。だが、みなとの仕事に対する好奇心や意欲を見ていると、美樹の中から、徐々にそれは払拭されていった。みなとの懸命な後ろ姿を眺めながら、美樹はふと思う。

――みなとさんは思ったより続いてるし、意外とタフで、今んトコ頑張って食らいついてきてるけど、まだまだ危なっかしいんだよな~。だから、しっかりオレがフォローしてやらなきゃ。

次の瞬間、無線が音割れしそうな勢いで、美樹の怒号が飛ぶ。

「おらぁ~!!あんましそっちばっか流してっと、浦安さんトコに車たまって困ってんじゃねーか!せいぜいあと2、3台にしとけよ、みなとさん!!」「は、はい、すみません!!じゃあ浦安さん、ラストは今行った52の赤軽で!!」
「あいよ~、みなとちゃん、確認したら返すからね~」

気持ちが前のめりになっているみなとと、緊迫感のまったくないお気楽オヤジの浦安。案外いいコンビだと、美樹は思った。

――ま、これからもっとキツい現場とか、夜勤とか入れられるかもしんないけど、そうなったら実力が認められてきたってことだからよ。せいぜい頑張れよな。

昔なじみの現場代理人が、美樹に声をかける。現場代理人は、工事を契約した人間の代わりに現場を取り仕切るので、そう呼ばれるのだ。
「なんか美樹……お前も変わったなぁ?」
「え?なにさ?」

爽やかな笑顔を浮かべる、凜々しい代理人の結城にそう言われて、ガラにもなく頬を染める美樹。浦安のほうから来る車を見ようとしてなにげなく振り向いたみなとは、たまたまそれを目にしてしまった。
――へぇ~?もしかしてあれは……

しかし、あまり眺めていると美樹の逆鱗に触れかねない。みなとはすぐに視線を前に戻し、赤い旗をなびかせて、近づいてきた車を止めるのだった。
「浦安さ~ん、こっちも来たんで返しますね~」

その後は事故もなく無事に終わり、代理人の結城が自社の作業員と、うぐいす警備のメンバーをねぎらった。
「いやぁ~、今日もみんなおつかれさま~。明日もよろしくね」

すると、昔からいるような気安さで浦安が返事をする。
「おつかれさまぁ。中原さん以外のメンバーは、明日誰になるか決まってませんけどねぇ」
「あー、そうかぁ~。なるべくなら、同じ現場は同じメンバーがいいんだけどな。前の日の流れ、わかってっからさ」

浦安の言葉を聞いた結城は、タバコを長い指にはさんで、少し残念そうに笑う。それを見て、美樹が肩をすくめる。
「わりぃね。オレがメンバー決めれたらいいんだけど」

毎日、組み合わせを考えるのは大熊だ。彼が実力をアテにしている隊員や資格持ちの人間、それから休み申請をしているメンバーなどの都合によって変わるので、任せてくれと断言できないのである。

「たぶん、山野さん以外は明日もここだと思うんだけどな。オレの勘だけど」
美樹がそう言うと、山野はくやしがる。
「なんでオレだけ違うのさ~?オレもここで気楽にやりたいよ~」
「あんたねぇ……」

浦安はともかく、みなとにここが気楽な現場だと油断されては困る。どの現場でも事故はつきものだ。そう思った美樹は山野をひと睨みすると、結城の手前もあってか、なるべく冷静に告げた。

「てか山野さん。あんた今夜、夜勤入ってんだろ。だから明日はムリだよ」
「あ~!!そうだ、忘れてた。美樹ちゃんに言われなかったら帰るトコだった」
「たく……」

美樹はため息をつくと、お調子者の山野から再び結城に視線を戻した。
「それじゃ、もし中止だったら連絡は早めに頼むね」
「おう。じゃあな」
「うん」

屈託なく手を振る結城と、どことなく名残惜しそうな美樹。みなとはなるべく邪魔にならないようにして、2人の様子をうかがっていた。
――う―ん。これはやっぱり……?

帰り道、山野と浦安が後部座席で寝ている間に、みなとは思い切って美樹に聞いてみた。
「中原さんと結城さんって……もしかして、つきあってるんですか?」
すると、美樹はとたんに吹き出し、涙を流して豪快に笑い飛ばした。相当大きな声だったが、うしろの2人は朝から走って体力を使ったせいもあるのか、起きる様子はなかった。

「……ま、待てよ。みなとさん、それなんの冗談!?」
美樹の意外な反応に、慌てて理由を並べ立てるみなと。
「だって、ほら、結城さんになにか言われてポッとしてたし……それにさっきも、まだ帰りたくないって感じだったじゃないですか。だから、中原さんって結城さんが好きなのかと……」
「あ~、それぇ……」

運転しながら、美樹は横目でみなとに微笑む。
「全然違うよ~!なんか、あいつが急にヘンなこと言いやがるから、ビビったんだよ」
「ヘンなこと?」
「ああ。なんだか、オレが変わったとか言い出してよ」

説明する美樹の横顔を観察する限り、彼女の言うことは間違えていないように、みなとは感じた。
――なぁんだ~。じゃあ、あのとき中原さんの頬が赤くなったのも、ホントに驚いただけかぁ……女らしいところもあるんだ、って思ったのに。

「まー、確かに最近はさァ。前より隊員が辞めなくなって、みなとさんみたいに育てがいのある人も出てきたから、鍛えてやりてぇとは思うようになったさ」

みなとは美樹の口ぶりから「まだ」鍛え足りないと思っているらしいのを知って、肝を冷やした。
――ま、まさかこれから、今まで以上に厳しくなるの?今のままでいいです~!!

心の中でそう叫ぶみなとに、美樹は珍しく、よく話した。
「そーやって考えてたの、あいつに当てられたかと思ってさァ。超能力でもあんのかね、あいつ。まいったわ」
「そっか~……中原さん、結城さんとお似合いだと思ったのに……」
最後のほうは独り言のように呟くみなと。美樹はさらなる事実を彼女に教えた。

「第一、結城は38だぜ?オレと違ってとっくに結婚して、中学生になったばっかの娘さんもいるんだよ。娘がかわいすぎて、嫁にやりたくないんだとさ」
美樹は、いつも妻や娘の写真を見せてはノロケてくる結城に、うんざりしているようだった。

「まー、あいつの話はこれぐらいにして、コンビニ寄ろうぜ。腹減ったわ」
「そーですね」

目についたコンビニの駐車場に、要領よく社用車を入れる美樹。コンビニに着いたとたん、示し合わせたように起きた後ろの2人。買い込んだチキンや肉まんを頬張りながら、みんなで他愛もない話をする。

超のつく安全運転で社用車を走らせる美樹。どんなに遅くても、もう誰も文句は言わない。降って湧いた美樹の恋愛疑惑も晴れ、こうしてこの日も綺麗に暮れていく。

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