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パラダイス出島2023。

コロナ禍突入とともに大病を煩い入院治療をした私は、2023年まで鎖国時代を過ごしてきた。

別に新たな刺激とかいらない。
そんなにやたらと人と関わりたくない。
色々な場所に行きたいとか思わない。
全体的に現状維持でいい。

見方を変えれば煩悩を断ち切った菩薩のようにも思えるし
一旦自分を整えるという意味で必要な期間だったとも思う。

そんな鎖国時代でも、限られた余所者を受け入れる出島のような役割をしていたのが音楽だった。

入院治療中に出会った2020年の藤井風「HELP EVER HURT NEVER」は、今でも人生のアンセムになっている。
それまで洋楽ばかり聴いていた私が、日本語の良さを改めて感じ聴き込むようになったのは、彼の音楽を聴いてからだと思う。

古き良きを蓄えながら確かな技術で生み出す彼の音楽は、どこか良い意味で古臭くて、人間臭い。
それでありながら確かにその音は未来を見据えている感覚があって、きっと彼の音楽は世界に届くだろうと思いながら聴いていた。

彼がメロディにそっと置く言葉も素晴らしかった。

もうええわ 何が大切なん? よう選んで
もうええわ そう思うなら サッサ手放して
もうええわ 自由になるわ
泣くくらいじゃったら笑ったるわアハハ…

藤井風/もうええわ

ダークな印象で進むこの曲は、最後にそう諭しながら明るいコード進行に転調していく。

15歳下の彼の飾らない言葉たちが、人生のどん底にいたであろう当時の私に、これからの人生を説いていた。

もうひとつ、言葉を失った歌詞がある。

与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとうって胸をはろう

藤井風/帰ろう

とてもシンプルだけど、人間の真髄を歌っていると思った。
そしてこんな当たり前のことに今まで気づけなかった私は何をやっていたのだろう、とさえ思った。

私が今誰かに与えられているものがあるとしたら
愛や優しさや喜びを少しでも与えられているとしたら
それは今まで私に関わってくれた人たちが、自分に与えてくれたもの。
だから与えられる。
でもそれは無条件に与えてもらったのではなくて
私だからこそ、与えてもらえたもの。

2カ月間、毎日同じ時間に病室に来てくれる母を見て
与えられた愛を、生きて還元したいと思った。

その後月日が経ち、もうすぐ入院治療から4年が経とうとしているが、
今でも定期検査に行く日は必ず車でHEHNを聴く。
病院に行くのは気が乗らないけれど、私にとってその頃の感情や気持ちを取り戻す大切な時間になっている。

その後彼が発表する曲が持つメッセージは、どれも一貫しているように思う。

人は皆生まれた時からそれぞれひとりだし特別で
富も幸せも全て持っているから
比べたり落ち込んだり自分を閉じ込めたりしないで
自分の心に正直に、輝く己を認めて

藤井風然り、田我流も宇多田ヒカルも、私が好きな日本人アーティストは皆一貫して同じことを歌っている。と、気づいた。

出島は役目を終えた後一旦埋め立てられて姿を消すが、その後復元整備事業を行って観光地化したそうだ。
私の出島は埋め立てられることはなくそのまま広がっていき、2023年に鎖国時代が終わりを告げたように思う。

藤井風のライブに2回、田我流のライブに1回、Vaundyのライブにも1回行けて、好きなエンターテイメントを存分に楽しめた1年だった。
私の出島は観光地化どころかパラダイスだ。

そして不思議と、人とのつながりや関わりも広がった年になったと思う。

2024年も引き続き大好きなアートや音楽に触れていたいし、
そういう生モノの良さをもっと味わいたい。
仕事でもプライベートでも、自分の”心地良さ”を大切にしながら
自分が与えられたものを、与えていきたい。
何か新しいこともできたらいいな。
面白いことにはどんどん顔を突っ込んでいきたい。

長女が中学校入学、末っ子が小学校入学を迎える来年は、家庭も第三フェーズに突入する予感。
困難も待ち受けているだろうけれど、あの地獄の日々に比べたら何のその。
生きていればどうってことない。

ただ年末の挨拶を書きたかっただけなのに、ガッツリ推しの解説になってしまった。
これを読んでもっと藤井風について知りたくなった人は、正月休み中にぜひ連絡してきてください。
5時間ぐらい語ります。

では皆さま、良いお年を!






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