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共感と慄き(道券はな)

――二巡目「私の好きな本」

 お変わりありませんか。『檸檬』、私は陰鬱とした心情を丹念に描いた文学っぽさと、最後の檸檬の強烈な色彩の絵画っぽさの調和が好きでした。『そこのみにて光輝く』は、粗暴なようで植物を育てるのが好きな拓児の姿に、人間の奥行きのようなものを感じたのを覚えています。

 私の好きな本は、『四谷シモン前編 創作・随想・発言集成』です。四谷シモンは、澁澤龍彦などと親交のあった人形作家です。学生の頃、私は、西宮市大谷記念美術館に「SIMONDOLL」という展覧会を見に行きました。入るなり可憐な少女の人形がいて、その傍の机に、展示品として人形の眼球がごろごろと転がしてありました。黒目の部分は澄んだ青や灰色、白目の部分は乳白色で、机には丸い薄影が落ちていました。これをここに嵌めるのかと人形の顔をのぞきこんだとき、なんだか、これはただごとではないぞという感じがしました。内臓を露わにした少年の人形や、さびしげな表情の自画像のような大人の人形、靴は人間の子どもの靴ではなく特注で作ってもらうという説明を添えられた等身大の少女人形などを見ているうちに、その感じはさらに増していきました。私は、四谷シモンのことをもっと知りたくなって、発言集を読んでみることにしました。

 人形は魂の容れ物。魂を容れるのはそれを見ている人。そして容れ物はどこまでも精緻で美しくあるのが理想だ。それが僕にとっての理想の人形。(あのころの僕、これからの僕のこと)
 足が冷たいだろうから靴下をはかせてやろうとか、(中略)ついでに下着も変えてやらないといけないなーとかいうことが人形を作るってことにつながってこないと本当じゃないですよ。小さな女の子が人形いじりをしているときみたいに感情移入を起こさせるような人形、そういう方法で取り組んでないと人形なんて作れないですよ。
 そうやって人形をいじくっていると、人形の言葉ってのがわかってくるんです。自分で独り言を呟くでしょう。すると人形から言葉が返ってくるんです。人形っていうのは結局愛の具体化ですよ。(長い長いお人形のお話)

 作品は容れ物で、見る人によって意味を与えられる、だから精緻で美しくあらねばならないという考え方は、文芸にも通じると思います。彼にとっての人形は、他者を映し他者に触れるための依り代なのかもしれません。私は他者が怖いくせに他者と繋がりたい、他者に触れて自分の輪郭を確かめたいようなところがあるので、作品を依り代として他者との交感を志向する点に深く共感しました。一方、彼の人形への恐ろしいまでの感情移入を前に、当時小説を諦めながらも何かを作っていたかった私は、芸術とはここまで没入しなければならないものなのかと、慄かずにはいられませんでした。
 展覧会で感じたただごとでなさは、この共感と慄きの破片だったのかもしれません。

  カーテンを開ければ窓の向こうから夜がこちらを見返している

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