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〈壊れもの〉のその先を(馬場めぐみ)

――二巡目「私の好きな本」

 「一首鑑賞 日々のクオリア」にて、平岡直子さんが私の短歌を取り上げた際"自意識、若さ、天才性、イノセンス、さまざまな〈壊れもの〉を主題とする馬場の作風"と書いてくれた。

 それは、私が思春期からずっとロックバンドを愛してきたことと関係があるのかもしれない。ステージに立って歌うひとの、ひたむきさや危うさといった〈壊れもの〉にどうしようもなく惹かれる。若木未央「LOVEWAY」は、クラクラするほどにそんな“好き”に満ちた小説だ。
 「真崎桐哉」という圧倒的なカリスマ性を誇るヴォーカリストを擁する音楽ユニット「オーヴァークローム」の結成と成功、その終焉についての物語。複数の人物視点の短編からなるオムニバス形式で、プロデューサー、トラック作りを一手に担うユニットの相方、「教徒」(熱烈なファンはこう呼ばれる)である中学生の少女が、それぞれの眼で見た「真崎桐哉」を語る。

 真崎桐哉。それは美しい容姿をした、傲岸不遜で、強気な王様。彼の歌声は真っ白い閃光の刃となって会場を満たす闇を切り裂き、教徒の心に直撃し彼女たちを熱狂させる。相方である有栖川シンが造るサウンドはすべて攻撃的な、非人間的な電子音で構成されており、代表曲は「エレクトリック・ローゼズ」という。オーヴァークロームでの桐哉はその名の通り、自分が機械仕掛けの薔薇であるように振る舞う。相方が音という形で桐哉に向ける暴力を、彼はすべて受けとめて歌い続ける。まるで摩耗も疲弊もしない存在であるかのように。
 桐哉がステージの上で王様であるのも、客席をなぶるように攻撃的な歌を歌うのも、彼の望みというより、「あなたは苛烈で、美しく、刺激的で、イノセントであれ」という他者からの欲望を受けとめている故に思える。彼はカリスマという名の大衆の生贄であるのだ。
 相方の有栖川は、初対面の桐哉に会った時“リヴァー・フェニックス”“ジェームス・ディーン”を連想する。そして「あなたの死ぬところが見たいです」と言う。
 つまりは、老いるところを見たくないということだ。若く、美しく、ギラギラと輝いたままの存在で、永遠にそのままでいてほしいということ。それでも、彼らはユニットを解散する。桐哉が死ぬ前に有栖川はその欲望を、その手を放す。
「もちろん死んでほしかったんですよ。青く、綺麗に咲いているうちに。……でも、もういいですよ。僕はもう、十分ですよ。」
 それは、桐哉の輝きが途絶えることを意味しない。真崎桐哉は機械仕掛けの薔薇としての役割を超えて、血の通った歌う生き物として、生身の羽で羽ばたき新しい歌をうたう。震える心地がする。

 そして、本当に私が見たくて信じたいのは、〈壊れもの〉の〈その先〉なのかもしれないとも思う。それは思春期の危うさを失えば書くことがなくなるのではないかと不安を感じてきた私自身の希望になる。
 若さゆえの苛烈さとは形を変えても生き続けた先に違う光を見せる存在(それは本を通して触れる真崎桐哉のことでも、私が愛するバンドBUMP OF CHICKENのことでもあるけれど)が、十代どころか二十代を終えた今も、私に、まだ何かを書く意味があるかもしれないと信じさせてくれる。

  暁にうたえば光る 滅びない熱が身体にまだあることが

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