短歌をはじめたころ(馬場めぐみ)
山崎聡子さん、辺見丹さんの文章を読んで感じたのだけれど、短歌とは閉塞した毎日に差す一縷の光として現れやすい性質を持つのだろうか。かくいう私もそうだ。短歌を始めたのは2010年、二回目の大学四年生のころ。卒業論文が全く書けず、卒業できず、卒業した後の未来なんて全然見えず、生きること自体が薄闇だった日々。当時遠距離恋愛中だった年上の彼氏―今の夫―に送るメールの中に戯れで短歌を入れよう、と思い至ったのを機に作り始めた。
夫とは「詩のボクシング」という、3分以内の自作テキストを朗読し合い複数の審査員がどちらの言葉がより響いたかを判断することで勝敗を決めるトーナメント形式の大会で出会った。小学生の頃から朗読が好きで、詩のようなものも書いたりしていたので、2006年に地元の北海道を離れ関東の大学に入学してひとり暮らしを始めたタイミングで、初めて地方大会の予選に出場した。最初は予選落ちしていたけれど、次こそはと出られる他の地方予選に出場するのを繰り返すうちに、同じような常連の出場者さんたちと仲良くなった。そうやって知り合った。私も夫も色んな出場者さんの朗読を聴いてきた。
朗読を聴いたことのある出場者のうち、玲はる名さん・斉藤斎藤さんは、当時の詩ボク予選出場者常連の中で「短歌で有名な方らしいよ」と噂になっていた。へえ短歌、と思った。夫自身も、当時枡野浩一さんのかんたん短歌blogの投稿者でもあったので、仲良くなるにつれて興味を持ってかんたん短歌blogのログをすべて読んだ。そのうちに、詩のボクシング岐阜大会の審査員に歌人という肩書の、私と同世代の女の子が現れた。地方大会を勝ち進めない一出場者である私と、すでに審査員のポジションにいる彼女。羨ましく、それゆえにどんな作品を書くのか知りたくて私は彼女の歌集を買った。野口あや子「くびすじの欠片」。それが2009年位までの出来事だ。
「詩のボクシング」をきっかけに夫との出会い及びいくつかの短歌に触れるタイミングがあった中で、一回目の大学四年生の頃に関西在住の夫から気持ちを伝えられた。人生に関わる気がして最初は応えられなかったけれど大学四年生としての生活が二年目になるころ、付き合うことに決めた。短歌を始めたのは同時期。彼は三ヶ月に一度位私の家に来て、後はメールでのやりとりだった。
私じゃないひとが仕舞った冷蔵庫の中のハーゲンダッツにおはよう
もう中に涙の入ったチャイラテがしみればしんとしていくからだ
これらは当時作った短歌。毎度毎度もやもやした気持ちをぶつけた長文のメールばかりなのも何だかな、と思って、ある日、気持ちを短歌の形にして送り付けた。
「めぐちゃん、短歌いけると思うよ!」
そんな返信に気を良くして作っていくうちに、いつの間にか、己の奥底を見つめようという思いで作る歌が多くなった。当時自分の中に渦巻いていて伝えがたかった、青みがかったグレーのような視界全体を覆うような感情や葛藤は、一度短歌という「型」にむりやり押し込めることで純度の高い形になるのだということ。誰よりまず自分自身にわかるように、鬱屈とした思いを可視化できる可能性に、手探りで気付いていった。
私じゃないひとの数多の声が手となって私の薄闇を抱く
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