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おかしな議論を見抜く鍵

 いくつかの有利な現象をとりあげて、あたかもそれが物事の本質であるかのように主張する議論を見ることがあるので、現象と本質について書くことにしました。一言で表現するのなら「ということがある」のが現象で、「そのためにこそ」が本質です。

 ひとつ自衛隊の必要性を例にあげて説明してみましょう。新聞やテレビを見ていると、大きな災害の時に自衛隊が出動し、救助や復興のために活躍するシーンに出くわすことがあります。市民を守り、命を救っているのですから、これは言うまでもなく素晴らしい活動です。

 しかしそれをもって「こういった活動をしているのだから自衛隊は必要だ」という議論を展開するとしたらどうでしょうか。ここで次のように考えてみましょう。自衛隊が被災者を救助する「ということがある」のは事実です。しかし、自衛隊がまさに「そのためにこそ」必要であるのなら、なぜ自衛隊は戦車やミサイルを大量に保有しているのでしょうか。救助隊としての役目には、それらは必要がないものです。

 このようにして自衛隊にとっての「そのためにこそ」を考えていくならば、それは軍事力の議論になることが避けられず、自衛隊の必要性を論じる場面で救助活動を持ち出すのは不誠実と言わざるを得ないでしょう。

 自衛隊が被災者を救助する「ということがある」。しかし自衛隊は「そのためにこそ」組織されているわけではない。したがって自衛隊の場合、救助活動は現象であって、本質ではないというわけです。

 またひとつ、今度は教育勅語を例にあげてみます。現代風に言い換えながら抜粋してみると、このようなことが書かれている箇所が見当たります。

「親を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は仲むつまじくすること」「友達とは信じあうこと」「博愛の心を持つこと」「学問をおさめ、仕事を習い、知能をさらに高め、徳と才能を磨き上げること」

 一見して、意外とまともなことが書かれていると思われる方もいるかもしれません。しかしこうしたことが書かれている(ということがある)からといって、ただちに「教育勅語は意外とまともである」と考えるのは間違いです。

 先に抜粋した部分は、やがて次の一文につながっていきます。

「そしてもし危険な事態が迫ったなら、公のために奉仕し、皇室の運命を助けること」

 これが当時の軍事教育の柱であったことに考えを及ぼせば、「そのためにこそ」は、非常時には天皇のために命を投げ出せというところにあったということが了解できてきます。

 したがって、教育勅語が「親を敬いなさい」「仲良くしなさい」と書いているのは現象にすぎず、本質は人権を否定した教育にあるととらえることができるでしょう。またこのように理解しておけば、教育勅語が本質的に不道徳なものであることや、教育勅語を道徳教育に持ち込もうとしている人たちがまさに不道徳な人間であることが明らかになるわけです。

 さて、ここまで自衛隊と教育勅語という二つを例に挙げながら、現象と本質の違いを考えてきました。本人が自覚している場合も自覚していない場合もありますが、物事のいくつかの良い側面、有利な現象をもって、本質とすりかえようとする議論が後を絶たないことが残念です。おかしな議論に出会った時は「ということがある」と「そのためにこそ」を相手がどのように論じているのか、立ち止まって精査してみることが力になるのではないかと思います。

 2021.05.11 三春充希

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