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飽きっぽい

モノも人も基本的には飽きっぽい

というか、実は今で言うADHDなので、一つのことに集中できないのである

気づいたのはいつだったかな

人間の脳の構造的にはむずかしいはずなんだけど、自分の意識を時分割で超高速で切り替える感じにして、集中力がないなら全方位に注力すれば飽きないし集中しているように見えるのではないかと思った

ものすごく疲弊するんだけどね

ちなみに、継続してやらないといけないこと(集中力が必要なこと)はとにかくルーチン化して集中しないでできるようにしたりすることで、意識的にやるんじゃなくて意識外で自動的に実行できるようにしてきた

自分でも無意識に全方位に意識を向けちゃうので、疲労感が常につきまとうため、意識外で自動的にすることが自分の精神安定・・・じゃないな、疲労感を軽減するコツ?のようになってる

人の話を聞くという事象も、聞きながら自分の中で話の流れをシミュレートして、ある程度のストーリが見えたら「音」として聞きつつ、途切れたら相槌を打つオートモードに切り替わってしまう

一応かなり高度に偽装してはいるけど、勘の鋭い人には「人の話を聴いてないよね?」とばれることもあるけど、ビジネス的には特に問題になったことはない(聴く必要はなく、聞くというプロセスを踏むのが必要なことがほとんどだから)

ビジネスのパターンでそこまで鉄板から乖離することはないしね

ちなみに、ちゃんと人の話を聴いているように振る舞うというモードもある

なんなら、けがをした際に痛みや不自由さを意識外にすることも可能

いや、何言ってるのよ?って思うかもしれないけど、意識から身体の感覚を分離することって意外に可能なのよ?

防衛反応としての痛みは感じるようにしてる(じゃないと致命傷まで気が付かない)けど、たぶん腕が切り落とされるようなレベルの状態でも大丈夫なんじゃないかな・・・

その状態に慣れるというのとはちょっと違って、身体の物理構造の今後どうするかという検討にすでに入ってしまうので、その事象を(自分自身であっても)ただの事象としてしか認識できないのよね

人によっては、異常にポジティブだよねという言い方をしてくれる人もいるけど、たぶんそれはちょっと違ってて、起きた事象に(新規性がないと)興味がわかないんだと思う

自分が知らない起きた事象(歴史的な物事とか今までに知らなかった技術とか)には興味がわくし、どんどん吸収するんだけど、似たようなパターンには全然興味がわかない(だから、一般的な営みとか事件とか恋愛とか生死にもほとんど興味がもてない)のよね

自分がどこまで経験したり吸収したりできるのかはわからないけど、これまででも恐ろしい量の経験をたぶん自己意識に転写してる

さっきも書いたように、自分の意識と身体を分離することができるので、応用として他人の文章(本)や映像、経験談を自分の内部でトレースすることで経験したことにしてしまうことができるのよね

これって、自分でもわりとえぐいことやってるから、逆に言うと映画やドラマでの経験が自分に吸収されてしまうのよね(だから私は実写の映画やドラマはほとんど見ない→いやなシーンや考え方を自動的に自分に同化して吸収してしまうから)。意図的にしんどい考え方を勉強として吸収するときは別だけどね

と、ここまで書いてきて、そろそろ飽きてきた

自分の内部をアウトプットしていくのは心に良いことらしいので、だれもつながらない環境でアウトプットしていこうと思ってる

#まぁ、プロフで顔出しちゃってるから、友人知人は気が付くかもしれんけどね(こういうのはそっとしておくのが吉)

て感じで、ホントに雑記をしていく場所

嫌な気分になっても、それはそれ。そういう気分も必要よ

何事も経験です

ではまた

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