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自分探し、いちぬけた - 発達障害と身体 (3)

ミライジンラボのプロジェクトに参加しているフジワラさんの連載ブログ。発達障害とともに生きる中で、日々の気づきをつづります。

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探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
(井上陽水「夢の中へ」より)

自分探しってなんなんでしょうね。私も10年以上は探してた気がします。 

不思議なもので、「自分」というものが存在すると思って自分探しをしても、そんなものは見つからないと私は思っています。

むしろ「自分」とはドーナツの穴のようなものじゃなかろうかと考えてます。「自分」そのものは確固たるものとしては存在しないけども、外側の輪郭から自分を形づくることはできる……そんな禅問答のような考えをいったん抱いています。

自分というものは、自分探しから降りた途端に「ああ、こういうものなのかなあ」とぼんやりわかってくるものじゃないかなあと。

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ところで、去年の12月に市民講座の演劇ワークショップに参加しました。

自分をつくる学校 ~ワークショップを通してコミュニケーションを学ぶ~(箕面市メイプル文化財団 生涯学習講座) 
講師:倉田操さん(俳優・演出家)

「身体と向き合おう」「声と向き合おう」「感情と向き合おう」という計3回のワークショップを体験しました。演劇をすることが目的ではなく、演劇の方法論(メソッド)を通じて自分とコミュニケーションを学ぶ講座でした。

具体的には次のワークを体験しました(一部のみ抜粋)。

・自分の名前をジェスチャーで表現(例:ユキ→雪がひらひら舞い降りる様子を手のひらで表現)
・「ウォーク」「ストップ」などの命令で歩いて止まる(命令が増えたり、逆になったりする)
・姿勢をまっすぐにする(小ぶりのペットボトルを頭に乗せる。緊張するとペットボトルを落としてしまう)
・身体を楽にして呼吸する方法(セミスパイン:仰向けで脊椎を楽にする姿勢)
・脱力の方法(わざと力を入れて、一気に力を抜く)
 ・セリフ読みと感情の作り方(怒り→紙くずを全力で床に叩きつけてからセリフを読む)

一連のワークショップを通じて理解したことは、次の2点です。

①「身体・声・感情と向き合う」ことは、具体的な技術により可能である
②心は、内側(心そのもの)からは変えられないが、外側(身体や行動)からは変えられる

正直、いま書いている原稿を書くにあたり、メモを取らなかったことをちょっと後悔しています。それでも、こういうワークショップは「身体が覚えている」ということが大事なので、頭にペットボトルを乗せながら(そして落としながら)ワークを思い出しています。

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意識、心、自分、自我……。

私がうつ病をわずらい少しマシになった頃、このようなキーワードについて興味を持ち、図書館で哲学書を漁ったりしました。

一方で「意識・心・自分・自我に対して悩みや迷いがあるのでどうにかしたい」という話もあります。メンタルを壊してしまった人が、どうやったらこの苦しみから逃れられるか、という実践的・現実的な問題です。

後者の場合、むしろ理屈や理性(いわゆるアタマ)で考えたり、哲学書(あるいは心理学や精神医学の専門書など)を読んだりするほど、病状は悪化したりするものです。

私も8年ぐらいは、アタマで考えすぎてうつを再発したり前に進めなかったりしました。

とりわけ、うつに加えて発達障害(とくに自閉スペクトラム症=ASD)が入っていれば、「何がなんでも理屈で解決したい!」という特性上のブーストがかかります。

そういう状況で、逆に「アタマで考えることを放棄する」ような視点の変え方が必要になってくると私は考えます。つまり「身体や感覚を使う」というアプローチです。

私もスポーツや運動と呼ばれるものは得意ではありません。どちらかといえば呼吸やストレッチ・ヨガに近いような、もっと静かに自分と向き合うものが好きです。気ままにできる散歩やジョギングも好きです。

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大事なのは「身体が自分にフィットする」という感覚を少しずつ獲得すること。できれば姿見(全身鏡)を置いて、実際に鏡を見る習慣を少しずつ付けていくとよいでしょう。お腹が出ていても、不細工で肌が汚くても、「ここから始めよう」と思えたらOKです。

(もしかしたら、性同一性障害などでそもそも物理的に身体が自分に合わない、という人もいるかもしれません。その場合は「心身にギャップがあり苦痛を感じている」という事実を認めてじっくり味わい、誰かに伝わるように表現する方が結果的に苦痛を和らげるように思います)

なお、「感情をつくって表現する」というところまでは私も到達できていません。私が経験する対人トラブルには「感情が意図せずねじまがって伝わってしまう」タイプのものがあります(これもASDの特性らしいです)。感情表現がうまくできれば、これらの対人トラブルも克服できるのかもしれません。できるといいなあ……。

フジワラユキ

探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ 
行ってみたいと思いませんか?
(井上陽水「夢の中へ」より)

(うふっふ~♪)

(若い人に通じへんで、この曲!)

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