ファインダーぶるうす
仕事の関係で夜しか使わないんだけどって言ったら最近のデ
ジタルカメラは高感度に強いので真闇じゃなければきれいに写
りますよ、つうてカメラ屋の兄ちゃんがしきりに薦めるもんだ
からつい一眼レフなんてものを買ってしまった。さらには夜撮
りなら明るいレンズがいいでしょてんで50mm・f0.8とかいう
やつを付けて寄越した。けっこうな出銭だったのでちょっくら
気持ちがサワサワした。
それでも新しい玩具を手に入れるとやっぱり嬉しいもので、
どこにも寄らずとっぷり暮れた家路をたどる。
帰宅して梱包を解きバッテリを充電しているあいだに、ビー
ルを飲みながら取説にざっくりと目を通す。いままで使ったこ
とのあるコンパクト型とちがっていろんなことができるようだ
が、とりあえずはオートにしておきシャッター半押しでピント
を合わせて押し込めば写るらしい。
ビールをウィスキーに切り替えるころ充電が完了し、まずは
グレンドロナックのボトルを撮ってみた。シャッター音が心地
よい。液晶モニターに表示させてみると、これがもうじつに精
細で美しい。
隣室でテレビを観ていた妻を呼んできてソファに座らせポー
トレイト撮影を試みる。手前味噌と言われるかもしれないが、
母方に東欧の血が入っているせいか三十路の坂を越えた今も十
分に美しい。そのシャープな鼻筋を引き立たせるべく、やや斜
め上方からのアングルで構えモニターを確認すると……妻の姿
がどこにも無い。無人のソファと背景だけがぽつねんと映って
いる。ファインダー撮影に切り替えてみたがやはり映らない。
さらに取説を見ながら顔認証機能をオン・オフしたりいろいろ
やってみてもだめだったが、不思議なことに撮影した画像には
ちゃんと写っているのだ。
「あたしのせいなのかしら」
「いや、そんなことありえないよ」
「一過性透明人間化現象とか」
「だったらカメラごしじゃなくても見えないし撮影された画像
にも写ってないはずでしょ……たぶん」
「なに?」
「これは雌のカメラで君の美しさに嫉妬して意地悪してるんじ
ゃないかな」
「イタリア人みたいなこと言って。でもちょっとうれしい」
「とりあえず明日カメラ屋に持っていって訊いてみるよ」
*
「――という具合なんですが」
「わかりました。それではちょっと拝見しますね……と」
昨日とおなじ兄ちゃんは受け取ったカメラを前に倒して底の
方を覗き、
「あー、やっぱりこれ雌ですわ」ノリが軽い。
「では雄のやつと交換で」
「本気にされちゃ困ります。えーとミラーアップにされてたと
かありませんか?」
「それはどういう?」
「一眼レフというのはレンズの後ろに鏡がありましてですね、
それに映ったものを反射させてファインダーやモニターで見て
るわけです。鏡の後ろ側にある部品の点検やメンテナンスなど
をするとき一時的に跳ね上がったままにすることをミラーアッ
プと言いまして、この状態では当然ファインダーには何も映り
ません」
「うーん、そういう操作をしたおぼえはないんですがねえ」
「そうですかあ。あ、ちょっと失礼しますね」こちらにレンズ
を向けてしきりに首を傾かしげる。
「んー、ほんとに映らないっすねえ。変だなあ。まあ初期不良
もゼロではありませんし、念のためメーカーに送って調べても
らうことも可能ですがいかがいたしましょうか」
「じゃあ、それでお願いします」
*
一週間後、点検からあがってきたとの連絡がありカメラを受
け取りに行った。予想通り――というかじつは店舗で説明を聞
いたときにトラブルの原因はほぼわかっていたのだが――結果
は「異常なし」だった。それでもあえてメーカーに送ったのは
万が一の初期不良の有無を確認したかったのと、通常のユーザ
ーの反応を演じる必要があったからだ。世代交代により希釈さ
れ無害化されたとはいえ、まだD伯爵系の血脈に気づかれるわ
けにはいかない。いつの日か薄められ拡散されたこの血がマジ
ョリティになるまでは。
カメラ屋からの途次、夜の渋谷スクランブル交差点を隣接の
ビル七階からカメラで見下ろしてみる。人波の二割ほどがファ
インダーに映らない。まだ二割か。
*
あれからミラーレス一眼を買い足して併用しているが軽量小
型でとても使いやすい。急速に普及するのも当然だろう。
あーでもね、自分の恋人や家族でも、たまには一眼レフのフ
ァインダーで覗いてみたほうがいいかもしれないよ。ひひひ。
(了)
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