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言葉の間合

 4月30日。武田花さんが亡くなってしまった。定期購読している雑誌〈テクネ〉の表紙写真と見開き2頁のエッセイ(キャプション?)風のテキストが面白くて楽しみにしていた。
 花さんの写真はどれも淡々としていてドラマチックとは無縁なぶん、見飽きることがない。被写体との距離が独特で遠くも近くもなく、ボケも入れないからちょっとベッヒャーみたいだ。
 それは彼女の文章もそうで、作者の当事者感が微妙に軽め?な設定にしてあるぶん、読む側はさながら覗きからくりを俯瞰しているような気分になる。でも、この距離のとりかたって、あるていど訓練で調整できるようになるのかもしれないけれど、じつは生まれつき持っている固有の間合いみたいなものがあって素の部分では変えようがないのではないか。対人関係や創作物の観賞においてしばしば生じる厄介な『虫が好く・好かない』という感覚の発生源はこれなのかもしれない。だとすれば種目にかかわらず、創作というものは基本的に『つくれるようにしかつくれない』のだから、出来上がった作品の評価など気にしたところで仕方がないのである。
 社会生活上、その間合いが頻繁に他者との軋轢を生じせしめる場合は何らかの対策が必要となるかもしれないが、創作方面に関してはあまり問題にならないようである。相手にされてないだけかもしれないが、独りで創っているだけならば波風は立たないことが多い。ただし無理やり商売にしようとした途端、『困った人』に認定されたりするけれど。
 職業作家をめざさなくとも創作はできる。飽きたら止めたっていい。そのくらいの自由はある。
 

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