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イスラエル・パレスチナ問題を知る~シオニズム編~

【シオニズムの源流】

シオンはパレスチナの古い名前であり、ユダヤ人の故郷とされています。また、シオンの丘はエルサレム南東にある丘を指します。紀元前1000年頃、ダビデが居城を、またダビデの子ソロモンがエホバの神殿と壮大な宮殿を建設したところです。以来、聖なる山としてユダヤ民族の生活・信仰の中心となり、エルサレム及び全イスラエルの象徴となりました。

ユダヤ民族がローマ時代に離散(ディアスポラ)し、世界中に拡散して暮らすようになったため、19世紀にそれまでの被抑圧民族の中に民族国家の建設を目指す運動(ナショナリズム)が高揚する中にあって、ユダヤ人はその基盤を持てないでいました。ユダヤ人は既に人種的なアイデンティティはなくなっており、厳密にはユダヤ教徒という共通性のある人々という面が強くなっていたが、中世以来のヨーロッパのキリスト教世界においては、ユダヤ教から改宗しなかった人々が、各地で迫害されていました。特に、ロシアにおける1881年以来のユダヤ人迫害(ポグロム)と、フランスのドレフェス事件に見られる反ユダヤ主義の流行に対し、ユダヤ人の中に、彼らに故郷に帰り祖国を再建しようという思想が芽生えてきました。

そんな中、ハンガリー生まれのユダヤ人ヘルツルは、ジャーナリストとしてパリに滞在中、ドレフェス事件(イスラエルパレスチナ問題を知る③を参照)に遭遇、フランス人が「ユダヤ人を殺せ」と怒号するのを見てショックを受け、ユダヤ人の国家建設を痛感しました。

彼らは1897年スイスのバーゼルで第1回のシオニスト大会を開催し、一つの政治勢力となりました。ユダヤ系の財閥であるロスチャイルド家はシオニズムを財政的に援助しました。初期のシオニズムでは、彼らが国家を建設する場所は必ずしもパレスチナを想定してはおらず、アフリカの未開の地なども想定されていました。

ところが、パレスチナの地は当時オスマン帝国の領土となっていたので、第一次世界大戦でオスマン帝国と戦った英国がパレスチナにユダヤ人国家を建設しようというシオニストを応援し、バルフォア宣言でユダヤ人に戦後の国家建設を約束しました。その結果、多くのユダヤ人がヨーロッパからパレスチナの地に向かっていきました。

第二次世界大戦後、英国と米国の支援を受けて1948年にイスラエル共和国が成立し、シオニズムは目的を達しましたが、そこに居住していたアラブ民族はパレスチナ難民となり、ユダヤ人との間に激しい対立を巻き起こし、深刻なパレスチナ問題として現在に至っています。アラブのパレスチナ人、および彼らを支援する人々からは、シオニズムとは他民族の生存権、生活圏を脅かす「侵略主義」と捉えられています。

イスラエルは国際連合のパレスチナ分割案に示された領域に建国されましたが、度重なる中東戦争でその支配領域を拡大してきました。特に1967年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸とガザ地区にはユダヤ人が次々と入植し、事実上の併合を強行、パレスチナ人との衝突が繰り返されてきました。

宗教的シオニズムの一つで過激な入植活動で知られる「グシュ・エムニム」(信徒の集団)の指導者は聖書の教えに基づいてエルサレムはもちろん、イスラエル占領下のヨルダン川西岸の南部へブロンに住むことは当然の権利だと主張し、パレスチナ全域を含む「大イスラエル」を手に入れることはシオニストの夢を実現することであり、神がユダヤ人に約束した土地(エレツ・イスラエル)に入植することでメシア(救世主)の到来が早まると考えています。その考えでは、パレスチナ人はこの土地から出ていって、隣のヨルダン、シリアなどアラブ諸国に移るべきだということになります。

イスラエルの政治では、1947年の国連パレスチナ分割案を受諾したベングリオンらが主導権を握り、翌1948年のイスラエル建国を実現させました。しかし、アラブ側が反発して翌日からパレスチナ戦争が始まりました。それ以降、四次に及ぶ中東戦争が続き、特に1967年の六日間戦争で大勝利を治めると自らの武力を過信すると共に武力優先主義をとるようになっていきました。その過信から、占領地はすべて「神の恩寵」であるとする「大イスラエル運動」が台頭、1977年に右派連合(リクード)のベギン政権が成立しました。

それ以後、「実践シオニズム」系の労働党と、「修正シオニズム」系のリクードがイスラエルにおける二大政党として、交互に政権を担当しています。リクードはベギン以降、80年代のシャミル、90年代のネタニヤフと承継され、2005年にシャロンス首相がリクードから分かれて中道的なカディマ党(前進の意味)を結成し、リクードは政権から離れました。

その後、イスラエル政権の不安的が続きましたが、2009年、復活したネタニヤフ率いるリクードを中心とした連立内閣が成立しました。

【ネタニヤフ政権とシオニズム】

(出典:日経新聞2022年12月22日)

2022年11月の総選挙で勝利し、第1党となったネタニヤフの「リクード」を中心に、連立政権を樹立しました。

総選挙で最も注目された点は、宗教シオニズムを掲げる極右政党の連合「宗教シオニズム/ユダヤの力」が、前回選挙(2021年3月)より議席を倍以上に増やしたことでした。宗教シオニズムはユダヤ人による「約束の地(イスラエルの地)」に対する支配の強化がメシア(救世主)の到来を早めるという宗教解釈に立脚したシオニズムの一形態であり、政治的にはヨルダン川西岸の併合や入植活動の推進、さらに国内政治でのユダヤ人の権利拡大などを主張している勢力です。

極右政党が躍進した結果、連立政権には従来からネタニヤフが率いるリクードに加え、選挙後に連合を解消した極右の「宗教シオニズム」、「ユダヤの力」、「ノア」の3党、およびユダヤ教超正統派を支持基盤とするシャス、統一トーラーの6党が参加することとなりました。自らの首相返り咲きを最優先したネタニヤフは、連立交渉の過程で各党の要求を次々と受け入れました。

中でも司法制度改革や占領行政の変更、さらにエルサレムの聖域に関係する政策はあまりにも多くの問題をはらんでいたため、政権スタート直後から強い批判を浴びることとなりました。

司法制度に関し連立6党は従来から、最高裁の判断を含む現在の司法のあり方をリベラルで世俗的すぎると批判し、改革を主張してきました。新政権はこうした主張実現のため、発足直後に司法制度改革案を国会に提出しました。

改革の中で最も問題となっているのが、国会が過半数で最高裁の決定を覆すことができる「オーバーライト条項」です。これは、三権分立を弱体化させる条項であり、現職の最高裁長官や政府の法解釈を代表する法務長官ら法曹界トップはこぞって反対を表明しました。

しかし、2023年7月24日に「司法制度改革」関連法は国会で与党の賛成多数で可決しました。これに対し、市民の抗議デモは激化しており、大規模な抗議活動が頻発しています。

もう一つの大きな問題は極右政党の2党首が占領地や警察行政に係る閣僚ポストを手にし、彼らの主張を政策として実現しようとしていることです。「宗教シオニズム」のベツァレル・スモトリッチ党首は財務相ポストと兼務で、国防相とは別に新設された「第2国防相」というポストに就任しました。この結果、従来は国防相が一括して掌握してきたヨルダン川西岸の占領行政に関する権限のうち、入植関係など民生事項をスモトリッチが担うことになりました。

スモトリッチは2023年3月に開かれたユダヤ系フランス人らの会合で「パレスチナ人はこの100年未満でつくられた」「歴史も文化もない」などと述べました。演壇で示された「大イスラエル」とする地図には隣国ヨルダンも含まれていました。

その後ヨルダン川西岸地区への攻撃を行い、強硬姿勢を強め、パレスチナ側と暴力の応酬を続けていました。また、ユダヤ人入植活動を推進し続けていました。

さらに極右政党の「ユダヤの力」のイタマール・ベングビール党首は新設の国家安全保障相に就任しました。このポストは警察行政に関し従来の公共治安相よりも強い権限を持つほか、これまで国防相の指揮下にあったヨルダン川西岸の警察業務も掌握します。

ベングビールは就任からわずか5日後の1月3日、エルサレム旧市街地内の聖域「神殿の丘/ハラム・シャリフ」に入場しました。1967年のイスラエル占領以来、ユダヤ人の聖域への入場は認められていますが、祈祷は禁じられており、それが「現状」として維持されてきました。しかし、ベングビールは以前から、ユダヤ人の祈祷の権利など「現状」変更を主張してきました。治安担当閣僚であるベングビールの聖域入場に対し、パレスチナ自治政府をはじめ、ヨルダン、エジプト、サウジアラビアなどアラブ各国は「現状変更」と強く批判しました。また、アラブ首長国連邦(UAE)と中国の要請で国連安保理の緊急会合が開かれ、議長国の日本や米国などほとんどの国が強い懸念を表明しました。

また、ブルグビールは「私の権利は彼ら(パレスチナ人)の移動の権利に優越する」と言い放ち、入植者に「免罪符」を与えるような発言をして、猛反発を招いてもいます。

ブルグビールが国家安全保障相に就任後、入植活動は激しくなりました。そして、ヨルダン川西岸地区の事実上の併合が静かに進んでいます。すでに入植地を結ぶ幹線道路がパレスチナ自治区を分断し、沿道のバス停では入植者を守るイスラエル兵が自動小銃を手に睨みを効かせる状態となっています。

このように、シオニストの中の極右の人物が政権の中枢を握り、過激な政策を実行し続けてきたことが、2023年10月7日のハマスによるイスラエル奇襲につながっていったと考えられます。

※ただし、ネタニヤフ政権はハマスによる奇襲を知っていた、あるいはハマスの攻撃からイスラエル市民を守らなかったのは、意図的であるという説もあります。ネタニヤフは政権を維持するためには、ハマスとの紛争を起こし、対ハマスという構図で支持を集めることが有効であると考えたとされています。この説は時間の経過とともにさらに検証されていくと思われます。

では、イスラエル市民はこのようなネタニヤフの極右連合の政権を支持しているのでしょうか。シンクタンクのイスラエル民主主義研究所が10月23日に発表した世論調査によると、ユダヤ人の市民で政府を信頼すると答えたのは20%強にとどまりました。6月の調査の28%から急低下し、過去20年間で最低になりました。

(出典:日経新聞20203年11月3日)

イスラエル市民は決して、極右のネタニヤフ政権を支持しているわけではないようです。

そして、今、全世界で起きている抗議運動は「反シオニズム(極右のシオニズム)」である点にも注目です。

ガザ地区への大量虐殺(ジェノサイド)ともいえる攻撃は、イスラエル市民が支持していることではなく、過激なシオニストが行っていることであり、このシオニストへの反発は全世界的に起きているという事を理解しておく必要があります。

シオニズム、シオニスト、これらは日本人にはなかなか歴史的背景を含めて理解しにくいところと思いますが、今、世界で起きていることを見るためには知っておくべきことではないでしょうか。


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