見出し画像

イエメンとフーシ派について知る


(出典:googleマップ)

【シバの女王の国】

アラビア半島の南西端にあり、紅海とインド洋を結ぶ位置を抑える交通の要衝であったので、早くから香辛料貿易などで栄えました。「旧約聖書」にはヘブライ王国のソロモン王に黄金や香料、宝石を贈ったというシヴァの女王はこの辺りを支配したと伝えられています。この王国はシバ王国といわれ、南アラビアに現れた最も古い国であり、その繁栄の記憶が「旧約聖書」や「コーラン」に伝えられたものと考えられています。詳しいことは判っていませんが、おそらく紀元前後に砂漠のベドウィンの侵入によって衰えたようです。ベドウィンとはアラビア半島に広がるアラビア砂漠の遊牧民アラブ人で、遊牧生活を送っている人々を言います。

【アデンの繁栄】

紀元1世紀にはこの地の中心の港町であるアデンはローマとインドを結ぶインド洋交易圏での季節風貿易の中継地として繁栄していたことが「エリュトゥラー海案内記」に現れています。それ以来、この地はギリシア人やローマ人から「幸福なアラビア」と呼ばれました。19世紀以降の発掘でシバ王国の跡と思われる遺跡が発掘されています。6世紀にササン朝ペルシアのホスロー1世の支配を受けた後、7世紀にはイスラム化しました。

【イエメン王国の独立】

16世紀にはオスマン帝国の支配を受けるようになりましたが、インド洋に面したアデンが1839年には英国に占領され、南イエメンは英国の保護国となりました。

一方、北イエメンではシーア派のザイド派が台頭し、第一次世界大戦でオスマン帝国が弱体化した際、1918年に独立してイエメン王国となりました。第二次世界大戦末の1945年に3月に結成されたアラブ連盟に加盟しました。

イエメンの山岳地帯はその土壌と寒暖の差が激しい気候からコーヒーの産地であり、オスマン帝国領となってから西アジアに拡がり、17世紀にヨーロッパにもたらされました。ヨーロッパに運ばれたコーヒー豆がモカ港から積み出されたのでモカコーヒーといわれるようになりました。現在もコーヒー生産は盛んですが、内戦のため輸出が困難になっています。

【北と南】

その後王政が続きましたが、1962年9月にサッラール大佐いよるクーデターが起こり、国王は追放され共和制のイエメン・アラブ共和国(北イエメンともいう)となりました。

一方の南イエメンは依然として英国の保護国として続きましたが、1967年に独立してイエメン人民共和国(南イエメンともいう)となりました。こちらは1970年にソ連に近い共産政権が成立し、イエメン人民民主共和国と改称しました。

1990年に北のイエメン王国の後身であるイエメン・アラブ共和国と、南の英語保護国であったイエメン人民民主共和国が合体し、イエメン共和国が成立しました。

イエメン人民民主共和国は人口2350万人、首都はサヌア、言語はアラビア語で宗教はイスラム教スンニ派が多数で、シーア派が少数存在しています。

旧南イエメンはアラブ世界唯一の社会主義国家でしたが、世界的な東側の社会主義陣営の後退の中、経済が破綻し停滞が深刻になっていきました。その結果、南北イエメンの合同の動きが高まり、1990年に両国が合体してイエメン共和国が成立しました。これは1839年の英国の南イエメン占領依頼、分断されていたイエメンがようやく統一を回復したことを意味する画期的な出来事でした。

しかし、南北は同一民族ではありますが、それまでの部族的な対立、政治形態の違い、宗派の違いという問題を抱えていたため、統一を維持するのは困難でした。早くも、1994年には南イエメンが再独立を唱えて内戦が勃発し、同年中に北イエメンの勝利となって停戦が成立しました。イエメン共和国はサウジアラビア王国やアラブ首長国連邦などのアラビア半島諸国が王政や首長制であるのに対して、半島内の唯一の共和国として、民主化を進めているが困難な状況が続いています。

【アラブの春】

イエメン共和国の大統領サレハは、北イエメン(イエメン・アラブ共和国)時代から30年以上その地位にあって困難な国家合同を主導してきましたが、その強権的な支配に対する南イエメンの民衆の不満が高まっていました。2011年、アラブ世界に発生したアラブの春といわれた民主化運動は、イエメンにも及びました。1月、チュニジアでジャスミン革命が始まると、わずか4日後の1月18日、首都サヌアの大学生たちが反政府集会を開き、市民も同調、南イエメンのアデンにも反政府デモが広がりました。

その後も治安部隊が発砲したり、政府支持派が武装して市民を襲撃するなど、内乱状態となりました。(イエメン騒乱)。また、アルカイダ系のテロ組織も動き出したため、政府側は反テロを掲げて米国の支援を受けようとしました。

情勢は混沌としましたが、運動は次第に暴力を否定する大衆運動が主流となっていき、国民の大統領退陣の要求が強まりました。サレハは権力の維持を図りましたが、最終的には12月に退陣を表明、副大統領ハディが暫定的にその地位に就き、翌年正式な大統領選挙で選出されました。サレハは病気治療を理由に米国に渡りました。

この間、非暴力の民主化を組織し、デモや座り込みの先頭に立った32歳の女性ジャーナリストのタワックル・カルマンが2011年のノーベル平和賞を受賞しました。

【アラブの春の後の動き】

アラブの春はチュニジア、エジプト、イエメンで強権的な大統領を退陣させることに成功しましたが、その後の民主化の歩みはいずれも順調に進んでいません。民主化によって宗教的少数派が発言力を強め、また独裁政治に抑えられていた部族が自由な活動が可能になったため、部族間対立が再燃してしまい、治安の悪化が軍隊の発言力を強めてしまうという傾向が出てきました。

イエメンに対してもイスラム国(スンニ派過激組織)などの温床になっているという欧米諸国の懸念の声があります。その中で、2015年には北イエメンの北部を拠点としたシーア派武装組織フーシ派がイエメンからの分離独立を主張して武装蜂起、クーデターによって大統領を辞任に追い込みました。フーシ派はイエメン国内では全くの少数派ですが、その背後にはイランがいるとして、スンニ派アラブ諸国は神経を尖らし、2015年3月、アラブの盟主を自任するサウジアラビアは他のアラブ諸国軍と共にフーシ派の拠点を空爆しました。しかし、フーシ派はイランの支援を受けていると見られ、勢力を強め、首都サヌアを制圧、さらに南部のアデンにも攻勢をかけ、イエメンは内戦状態となりました。

この内戦はサウジアラビアが支援する政府とイランが支援する反政府勢力「フーシ派」の代理先頭とも呼ばれ、9年が経過しても終わっていません。国民の3分の2が食糧不足などに直面し、「世界最悪」とも呼ばれる人道危機を引き起こしています。

サウジアラビアとイランは2023年3月、中国の仲介で外交関係を正常化させることで合意しました。それを受けて4月にはサウジアラビア政府とイエメンの反政府勢力の代表が直接、会談。両国は、双方の大使館の再開に向けて調整を進め、6月にはイラン政府はサウジアラビアの首都リヤドにある大使館を7年ぶりに再開しました。

【内戦終結の可能性】

米国、サウジアラビア、イエメン、国連当局者によると、サウジアラビアとフーシ派の数カ月にわたる協議により、国連が長期的な内戦解決の基礎となると期待する非公式な3年間のロードマップが作成されました。

和平交渉は2023年に入り、成功に向かっていましたが、ガザでの戦争は様々な紛争当事者がいる中での慎重を要する交渉を根底から覆す恐れがあります。フーシ派は紅海の船舶やイスラエルの都市を標的にしていますが、これはガザにおけるイスラエルの軍事作戦に抵抗するためだといいます。

フーシ派は紅海を航行するイスラエルに関わる船舶を攻撃しており、米国は航行の安全を期すためとして、フーシ派への攻撃も検討しているとされています。

今のところ、和平プロセスの決裂とはなっていませんが、懸念は上がっています。

【フーシ派とは】

イエメン北部を拠点に活動するイスラム教シーア派の武装組織で、主体はフーシ部族です。ザイド派の宗教・政治指導者であるフセイン・バドルッディーン・フーシは、1990年に南北イエメンが統一されると地域政党ハック党を結成し、イエメンの大統領サレハに対抗しましたが、抗議活動は弾圧され、2004年に暗殺されました。これ以降、フーシ派はイエメン政府に対抗する武装民兵として知られるようになりました。

また、サレハ時代からイエメン政府は、フーシ派シーア派系であるため、その背後にはイランがいると非難してきました。2011年にサレハが大統領の退任に同意し、翌年、副大統領のハディが暫定政権を率いると、フーシ派は仇敵の元大統領サレハと反政府勢力として共闘しましたが、最終的には対立し、2017年12月にサレハを殺害しました。その間、2015年にフーシ派はクーデターで首都サヌア及び紅海の要港ホデイダを支配下に置き、2012年の大統領選挙で大統領に就任していたハディはサヌアを脱出し、旧南イエメンのアデンに移ったものの、その直後にサウジアラビアに脱出しました。

この後、ハディ政権を支えるという名目でサウジアラビアを主体とするアラブ連合軍がイエメンに軍事介入を行いました。

フーシ派の背後にはイランがあるとされ、2023年10月7日に勃発したイスラエルーハマス戦争においても、イスラエルのガザへの攻撃に圧力をかけるため、紅海を航行するイスラエル関連船舶への攻撃を行っています。

自分が関心があることを多くの人にもシェアすることで、より広く世の中を動きを知っていただきたいと思い、執筆しております。もし、よろしければ、サポートお願いします!サポートしていただいたものは、より記事の質を上げるために使わせていただきますm(__)m