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2019.10.20「発達障害とともに軽やかに生きる」イベントレポート(連載第2回)【全5回】 中村陽介氏講演後編

前回に引き続き、2019年10月20日(日)、調布市市民プラザあくろすで実施した、発達障害の子どもを持つ家族のためのセミナー「発達障害とともに軽やかに生きる」第一部・中村陽介氏のご講演後半の内容をご紹介します。中村氏は発達障害を抱えながら職業生活を送っていらっしゃいます。前編では主に、学生時代での勉強の苦労について語って頂きました。後編は社会人になってからのお話です。

<当時の構成>
【第一部】発達障害を抱えながら職業生活を送る中村陽介氏の体験談
【第二部】昭和大学烏山病院に勤務する臨床心理士・横井英樹氏/大人のデイケア・プログラムについて
【第三部】パネルディスカッション。


1.就職~憧れのホテル業界へ

接客業につきたいなという想いがあり、ホテルを中心に就職活動を進めました。エントリーシートを書くのに苦労しましたが、某ホテルチェーンから内定をもらうことができました。

卒業と同時に志望していたホテル業界へ。学生時代は何とかなったものの、社会人になってからからは困りごとの連続でした。まずメモが取れない。書く速度も追いつかない。おまけに私のメモをとるという行為は、健常者とは少し違っていたのです。普通、メモは忘れないためのものだと思いますが、私は理解を促進するために書いています。メモはとっていてもそれが理解できているとは限らないわけです。これは転職後の話になりますが、産業カウンセラーに業務の相談をしていた際、メモを取りながら「よく分かりません」と発言すると不思議そうな顔をされたことがありました。自分の感覚が人に理解されない。これが発達障害を抱えた方々の生きにくさなのです。

「発達障害を抱えながらサービス業に就くのはとても珍しいことですよ」と就労支援のジョブコーチから言われたことがあります。確かに発達障害でコミュニケーションに支障がないというのは珍しいことです。自閉的になりやすいといった傾向が私にはありませんでした。人との会話は好きですし、空気を読むのも得意でした。発達障害の人にも何らかの強みがあります。それぞれの強みを活かして、適した仕事を見つけられたらいいなと思います。

話をホテル時代に戻します。現場の時は接客スキルを活かし、それなりに働くことができました。しかし、事務方に異動してからが大変でした。とにかく事務作業ができない。手順が明確になっておらず、臨機応変な対応が求められる仕事は基本的にできませんでした。作業手順を自分なりに組み立てる必要があるのは認識していても、プロセスを考えることが難しい。その辺を職場の人に理解してもらうことには今でも苦労しています。分かってもらえないことが生き辛さにつながっていきました。

結局、身体を壊すところまで追い込まれました。憧れて入った会社でしたが、3年で退職することになりました。

2.退職後~診断そして就労支援をドロップアウト

その後、いくつかの病院を回り、最初についた診断は鬱病でした。最初から発達障害の診断をついたわけではないのです。仕事を休養しながら治療を続ける中、東大病院で検査入院をしました。診断の結果は、広汎性発達障害および境界知能。境界知能とは、IQ70以下の知的障害ギリギリの水準を示します。私自身でも自分に学習障害や知的な発達の遅れがあるのではないかと認識していたので、きちんとした診断が出たことで正直、ほっとしました。

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診断を受け、すぐ就労支援施設へ。最初は生活リズムを整えながら支援を受けていましたが、支援者との時間調整がなかなかできず、少しずつ支援から遠のいていきました。また、友人と食事をするのに親にお金をもらって出かけるということに抵抗もあり、せめて小遣い程度でもいいから稼ぎたいという気持ちになりました。得意な接客の仕事ができそうだと感じ、都内にある子どものためのテーマパークでアルバイトを始めました。

そこでは、成果物を作ることがゴールになります。子どもたちに自己肯定感を持ってもらうお手伝いができればという思いがありました。創作の過程で子どもたちを褒める。すると子どもも保護者もとても喜んでくれました。また外国人のお客様もいて、得意な英語を生かせるという点で、私自身の自己肯定感にもつながっていたと思います。

本当は治療に専念すべきだったわけですが、仕事が面白くなり契約社員として仕事を始めました。そのせいで就労支援はドロップアウト。結局、そこでは3年間勤務しました。残業時間が30から40時間に達し、体力的に辛くなったこと、契約社員ではキャリアが積めないことで退職をしました。その後は障害者雇用枠で2社に勤務。現在に至っています。いずれも事務職です。

3.現在~周囲の理解が得られない苦労

今の会社も含め、面倒見きれない、やる気が足りない、思いこみが激しいというのが周囲からの私の評価です。私は、ある程度のことを言葉で表現できるため、分かっているのに行動が伴っていない人と見られがちです。周囲の人からはただのわがままと映るのでしょう。そんな中で働いていても自己肯定感は持てません。

仕事が楽しくないという話を繰り返す私にある日、主治医は、発達障害のデイケアを勧めてくれました。同じ発達障害者との交流を通じて、少しでも生きやすい方法を見つけてくださいと言ってくれたのです。

そして、2019年8月には再度の検査を受けました。前回9項目だった検査が今回は14項目に増えました。加えて前回も受けたウェクスラー式知能検査のバージョンも変わっていました。検査の方法が変わったせいなのか分かりませんが、今回の検査では発達障害という診断が下りませんでした。IQが年齢より低かったので、それが私の生きにくさの原因であると分かっただけでした。検査結果では私は健常者であるということになるわけですが、生きにくさは相変わらずです。

発達障害であろうとなかろうと、人は強みを活かして生きていくべきだと思います。私の場合は、社交性が強みなわけですが、なまじコミュニケーションが取れ、困っていることを助けてくれと言えてしまうことで、配慮要求が多い、人に頼りすぎだと思われてしまう一面もあります。組織の中で生きていくことは難しいというのが率直な気持ちです。


講演者プロフィール

>>>中村陽介氏
28歳のとき、広汎性発達障害および双極性障害との診断を受ける。ホテル等の接客業を経て、現職は不動産業界にて総務、一般事務。


※連載第3回は、昭和大学烏山病院の臨床心理士、横井英樹氏による大人のデイケアについてです。

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