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「あっ、詰んだ」もプロセス

私は失敗すると、
しっかりとヘコんで、
落ち込むタイプ。

そしてふとした瞬間、
過去の失敗を思い出し

「あっ」

と声がでる引きずるタイプ。
(特に布団)

そして、
人目を気にするタイプなので、
ずーっと生きづらさを感じていました。

生きづらさと言うと大げさですが、
「失敗したらどうしよう」
「相手はどう思うかな」
「自分が我慢すればいいか」
といった感じで、
『相手にどう思われているか』
が常に心を占めていました。

仕事においてはそれが顕著に出て、
メンバーの顔色を窺ってしまい、
自己犠牲で仕事を進めることもしばしば。

でも、
体調不良というかたちで限界が来る。

それでも、
少し元気になったら
また同じ働き方をしてしまう悪循環。

そんなんだから、
心にはずっとモヤモヤがあって、
頭にはずっと心配事がある。

正直、しんどい。
そんなことをずっと繰り返していました。

そんな感じでも40を超えると、
少しは考えが変わってきて、
『失敗しても、まぁ死なないか』
と思えるようになってきました。

といっても、
これは歳を重ねたからではなくて、
やっぱり、心持ちの問題でした。

自分の判断基準において、
以前は他者が大きな割合を占めていました。
今思うと、ですが。

他者の目を気にするあまり、
『いい子(人)で居なければならない』
という呪縛を自分で作り上げていた。

『自分の成功 < 人に嫌われない』
がゴールだったんです。

それが、なぜ変わってきたかというと、
自分の人生に対して、
『こうしたい』
という想いが出てきたから。

今までも、
そのような想いはあったのですが、
常に他人の目を気にする性格なので、
自分でハンドリングする自覚や責任がなく、
「時の流れに身を任せ~」
に、自然となってしまっていました。

ですが、
『こうしたい』
が出てくると、
ゴールがそこになるわけです。

そうなると、
そこ至るまでに生じる数多の失敗は、
プロセスの一つになる。
そうしないと、前に進めない。

布団のなかの「あっ」も
プロセスの一部である。

そう考えられるようになったので、
今は少しは心が軽くなりました。

そうなって、
改めて周りに居てくださる方々を見ると、
皆さんが支えてくれていたんだなぁ、と
感謝の気持ちがでてきました。(遅い)

若手の頃にお客様から、
「失敗しても殺しはしないから」と、
冗談半分に言われたことを今でも思い出します。

そして実際に、
請求データをTRUNCATEする失態を犯しましたが、
殺されなかったことも…。
(先輩、助けてくれてありがとうございました)

失敗は必要なものとして受け入れ、
その上で、どういう選択肢が取れるのか。

「失敗はプロセスだよ」

自分に対してもそうですし、
自分の家族や大切なひと、
一緒に仕事する仲間に対しても、
心からそう言えるようになりたいです。


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