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人に優しく自分に厳しく し続けた結果を想像できますか?

自分がボロボロであることのどこに「美」があるの?

◆それが日本の躾(しつけ)だった

「困っている人がいたら助けてあげてね」
これはまぁ、正解として。

「人に優しく、自分に厳しくいなさい」
これは果たしてどうでしょう?

この二つはなんだか似ているのですが、人に優しくする行為と、その反対に自分には厳しくする行為がセットになっているのが、腑に落ちません。
もちろん、昔この教育を受けて育っている時は疑問も持たず、人のことは甘やかして自分には徹底的に厳しくしたらいいのだと思っていました。
それが「美徳」だし、それが「立派な大人」になるための秘訣なのだくらいに思っていました。

確かに昔話などでも、自分のなけなしの何かを差し出して誰かを助けたことで、もっと大きな見返りを得たというような話があります。(かさじぞうとか)昔からの言い伝えだったり、文化的な側面で教わってきたから、それが正しいものと認識していたのかもしれません。

◆人に優しくしつづける「原資」はどこにあるのか

人に優しくしつづけるためには、優しさのもとがなければなりません。
なにか持っていれば、それを差し出すことが優しさかもしれませんが、その「なにか」に限りがあったら、優しくし続けることは不可能です。いつか、その限界数が来て、優しくしようにも出来なくなる瞬間が訪れます。

「人に優しく、自分に厳しく」してしまうと、ここの限界数があっという間に訪れます。

あっという間に自分自身がボロボロになってしまいます。

すると、自分自身に不足を感じ、ネガティブな感情を引き起こします。
ネガティブな感情はさらにネガティブな感情を生みますから、あなたが手にしているものは優しさとは程遠いものになってしまうのです。
そんなボロボロの自身のどこに「美」を感じられるでしょう?

さらに、不足した優しさのもとをあなたはどこかから調達してこなければなりません。

それはどこか?

他人です。

他人からあなたが優しくされることで、優しさのもとをストックするようになるのです。

それも、あなたがまた犠牲を払って手に入れられる優しさなのです。

◆枯渇しない優しさのもとを手に入れるには

方法は、いたって簡単です。

順番を入れ替えることです。

「自分に優しく、人にも優しく」です(笑)。

自分に優しくすることで、自分自身で優しさのもとをストックできるようになりましょう。
そうしたら、その優しさのもとをたくさんの人に提供することが出来るようになります。

優しさのもとは自分でいつでもつくりだすことができるので、限界数もなければ、苦痛も伴いません。

そんなの、出来るならとっくにやってるよ?
自分でやるってどうやってやるのよ?ってあなたは思いましたか?

どうやって自分で作り出すのか?はここでお教えしますね。

◆人にしたいなと思うことは自分もされたいと思っていること

もし誰かに、何かをしてあげたいなと思ったら、それはあなた自身もされたいなと思っていることです。

例えば、誰かにホッと一息入れるきっかけとして珈琲をいれてあげたいなと思ったとしたら、あなた自身もホッと一息いれるきっかけが欲しいなと思っているよということです。

だから、まず、他の誰かの前に、あなた自身にホッと一息いれるきっかけとなる何か(珈琲でも、紅茶でも、お菓子でも、音楽でも)を提供してあげて、満たされたらその次に誰かにしてあげる。この順番です。

一日の中で連動させなくてもいいので、まずは誰よりもあなた自身に行ってみてください。
これをご自身で行うことで、誰かにしてもらいたいなと思うことがなくなります。
誰かにしてもらいたいなと思っていると、してもらうために何かを差し出さなければならなかったり、あなたが犠牲を払って手に入れるということなので、優しさを手に入れる代わりに苦痛も生んでしまいます。

だから、自分自身でストックできるようになりましょう。
それを可能にするのが順番を入れ替えることです。

◆自己犠牲を払わない人に優しくならOK

自分ファーストで自分に優しくすることを優先しなくても誰かにしてあげたいと思う時、その時は是非そうしてください。

ただし、

その行為が、自己犠牲になっていないかどうか?
を確認して
いってください。

自己犠牲だったり、目的が誰かにこのように思われたいというような別の欲求が見つかる時は、違っています。
お金のかからない小さなことから、あなた自身にかけてあげたい優しさを、まず提供してみてくださいね!


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