自民党若手山田太郎氏こども庁 VS 自民党内保守派こども家庭庁
加藤略歴
私は虐待サバイバーです。
55歳で虐待後遺症によるうつ病(約3年寝たきり)から抜け、幼少期から56歳まで解離状態で混乱の中にいました。
57歳の今でも、服薬はしていませんが、認知機能の回復のためのリハビリ途中であり、多少のパニック障害や睡眠障害はあります。
でも自己否定からくる落ち込みなどはもう全く無いので、だいぶ楽にはなっています。
今年4月より虐待防止活動を始め、法律条例を変え、学校・家庭・医療・福祉等の仕組みを変え、すべての子どももおとなも生きやすい社会を目指しています。
風の時代
そこで出会ったのが、自民党の若手議員・山田太郎氏でした。
聞けば聞くほど、子どもの尊厳をしっかり見つめ、真摯に子どもと向き合っている方と勝手に認識しています。
様々なニュースに忘れ去られてしまいそうですが、これからは「風の時代」と呼ばれています。
個人が大切にされる時代
個人の想いや世界観が尊重され、「それでいいんだよ」とされる時代
誰もそこを否定・非難する権利などない。
上下関係もなく、誰もができることとできないことがあるから、できないことは「助けて!」と言えて、それをみんなが認め、助け、お互いがまるっと尊重されていく
そんな時代になりつつある
そう思っています。
家制・家父長制による日本人の中の間違った刷り込み
現実にはまだまだ、家制・家父長制から続く「べきねばちゃんと」の社会通念が強く日本人の中に刷り込まれ、国民に一律を求める日本の法律が後押しする形で、自由に生きることが許されてはいません。
だけれども、一人ひとりが生きやすい環境を創っていくことを目的に、それを一つ一つ排除していくことは、今の時代可能なはずなのです。
家長とは
男とは
女とは
先生とは
上司とは
師匠とは
子どもは
そんな社会通念から作られた「しつけ」は、受ける側は孤独感や疎外感を深め、虐待に繋がるリスクが実は大きいことを、多くの人が認識していく必要があります。
「しつけ」は、子どもが子どもである間は必要とされており、私も子どもが子どもである間は、必要だと思っていました。
しつけ
「子どもは叩いてわからせなければならない」
そういう間違った認識の親に育てられ、混乱のまま支配の中に置かれ、洗脳まで行くと、「何か違う気がする」とは思うことはあっても、日々の生活の中で秒単位で「しつけ」と称する何かしらが来ます。
ごはんの食べ方やかかる時間、箸の持ち方上げ下ろしから始まり、四六時中重箱の隅をつつくように否定非難が入ります。
・2歳くらいの時にアイロンを手に押し付けられてから殴る蹴るは続き
今でもうっすら痕がありますが、親に対して恐怖心しか持つことができず、
・自分は正しいしつけをしているだけだ
と、説明もなく一つ一つを強要された末に、親から言われ続けてしまえば、逃げる選択肢の無い子どもは「そうかもしれない」と思い、
・何度言ったらわかるんだ、そういうのをバカって言うんだ
と言われ続ければ「私はバカなんだ」と思い、
・そんな悪い子に育てた覚えがない
と言われ続ければ、悪いことをしているつもりはないけれど「なんで?」と質問しようとするたびに「口答えするな!」と発言を必ず止められるので、自分は悪い子なんだと認識し、
・○○ちゃんは・・・弟は・・・と比較
「おまえはなんでいつもそうなんだ」
・何をするにも「早く、早く」
・認める、ねぎらう、大丈夫だよ、それでいいよ、がいつまでもない
幼いころから高度なことを早く処理することを要求された上、それがいつまでも続くので、指示されると「相手の要求に応えられるだろうか」が課題になり、「ここまで」が無いので際限なく頑張り、頑張り過ぎて疲れが出ていても自分で気付けない。大人になってもそうなので、承認欲求が強く残る
・常に般若のお面のような顔しか記憶が無い
幼いころから抱っこしてもらったことも無いし、優しく微笑んでもらったことがない。
・ご近所や親戚一人ひとり会うたびに、電話するたびに、私の悪口
「こんなことをしてた」「ほんとに言うことを聞かない」「親のことを何だと思っているんだか」と私がそばにいるので聞かせるように、毎回言い、立場を持たせられることがない
・お前も親になったら親の有難みがわかる
私が親になった時、わかりませんでした。およそこれは違うだろうと思ったことはしていませんが、わからないことは親が言っていた通り子どもにしてみたら、子どもの笑顔がどんどん消えていきました。
そして、行動は「自分がされてきたことは虐待なんだ」そして「自分が子どもに対して感じる想い自体が虐待なんだ」と同時に気付くに至りました。
子どもたちが保育園の時です。
でも、いくら妊娠期から分厚い育児書を何冊読んでも、子育てが何たるかはわからず、発達障害で育てにくい息子の対応ができませんでした。
#しつけ撲滅
伝統的家族観
これを大切にしていたら、見えなかったものが私には見えた、ということです。
それとは正反対である、目の前にいるたったひとりの子どもの尊厳をどこまでも大切にしていくという考え方。
子どもは1ミリも変えてはいけないんです。
変える必要はないのです。
対話一つ大事にすることで、心の療育と、彼のその想いと世界観を大事にし、施設内虐待で本人が失くした尊厳も、ズタズタになった自己有能感も、共感と承認のシャワーだけで取り戻すことはできるし、希望を持たせることは可能なのです。
そこに「しつけ」など要らなかった。
社会通念など要らなかった。
伝統的家族観など要らない。
だから、山田太郎氏の考案した「こども庁」を支持します。
伝統的家族観など要らない。
そんな価値観で、傷つき過ぎて、自分を大切にする方法を知らず、孤独感や疎外感の中にいる子どもたちを救うことなどできない。
そう思います。
「こども家庭庁」は、子どもの尊厳を傷つけ続け、一律が正しいと思いこませ、洗脳させることに繋がる大きなリスクがあると考えます。
世代間伝達が苦しいことと知っている私にとって恐怖でしかない。
この名称にされて始まったら、山田氏がせっかく創り上げた構想は、またごまかされて、真反対の方に行ってしまうのではないでしょうか。
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