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ある日、自死遺族になる

自死遺族になる。
ある日から。

それは自死遺族の当事者と呼ばれる個々の思惑に関係なく起こる。ひとたび起こってしまえば、それぞれの人生の幕引きまで自死遺族というカードを持って生きていく。

まさか。
なぜ。
どうして。
普通なら、そう思うのだろう。

そうか。完遂したか。やっぱりか。
それが確定したと告げられた瞬間の素直な私の感想。

精神科で10年程仕事した。
故にこのようなことは日常の中にあった。
完遂、定期しぬしぬ詐欺、未遂。色々なパターンがある。

未遂から治療を経て完遂した方。希死念慮が強い間、保護室観察。すこしづつ少しづつ無表情から笑顔が戻り、初めて外出許可が出て一時帰宅、自宅で完遂。

このケースで完遂を目標にしたひとの執念を知った。院内では迷惑だろうし無理だ。元気になって外に出て、やらなければならない。これを心の奥に秘めて硬い芯として実行する為の努力と演技を誰も見抜けなかった。とても穏やかな良い笑顔で、行ってきますね、と手を振りながら迎えに来た奥様と娘さんに寄り添われての外出から1時間後の出来事。彼は目標達成した。

そしてある日、私は俯瞰、傍観者側から自死遺族当事者になった。

自死したのは父だ。最後に姿を見たひとは後から考えたら何かおかしかったような、と言うが、その通りだろうなと思う。何時ものように軽く片手を挙げて出て行ったと。何時も飄々としてひとの心に入り込むのが上手いひとだった。が、あまり自分自身の闇深いところは見せず笑顔でマスキングして他者から自分の心への介入、侵入をブロックしているような、そんな印象を持っていた。
自死のトリガーとなった仕事上のトラブルは秋の初めに起き、それを巡り色々あったのが長引き冬になり、あと半月で年も開けようかという頃合に完遂した。逆算して年末までにトラブルの精算、幕引きを図って。やられた。鮮やか過ぎるでしょ。いちばん駄目な手法だが効果抜群過ぎる。かくして思惑どおりトラブルそのものは無かったことには出来ずとも、手打ちとなった。

私は大丈夫?と聞いた。
父は大丈夫。と答えた。最後のやり取りにしちゃベタ過ぎるし、大丈夫な訳ない大丈夫?に我ながらアホな問い方だった、それだけが私の心残りだ。まあ、何をどう言ったところでこのやり取りした時にはやる、と決めていたのだと思うが。

自死遺族でごさい、と哀れを誘う気は更々無いし、知っていて微妙な距離の方からありがたい微妙な対応というか気遣いを頂くけれど喪の仕事が少し複雑なだけ。淡々と日々は過ぎる。何かしても、しなくても。考えても、考えなくても。増えたカードを時々眺めるけれど、それ以上もそれ以下もない。

ある日自死遺族になった。
それだけのお話。



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