日記#135#136

#135 12月13日

今日もCanvasの練習をしていた。
自作ボタンのある1文について意味が分からなかったため、検索が非常に困難を極めていた。
その1文とはこちら。

onClickCallback?.Invoke();

この"?"が本当に意味が分からなかった。
どんな検索をかけてもうまくいかなかった。

そこで、?.Invokeで検索をかけていると、スレッドセーフという単語がついてきた。そこから今度は"?演算子 C#"で検索をかけていくと、??というnull合体演算子というものが出てきた。
そのサイトにアクセスすると、ついに見つけた。
○○?がnull許容値型ということが分かった。
自作ボタンに関するガイドを作るにあたって意味を探すのに非常に困難を極めた部分がようやく解消された。

ようやく、進める。
本当に長かった。

#136 12月14日

今日がその描き初めの日。
自分にまだ熱があった時期の最初の日。

あれから私はだれてしまって、忍耐力のない人間になりさがった。
絵に向き合うには覚悟が足りていなかった。
自分を知らなかった。楽しさを知らなかった。
挫折した。

無限に追及できて無限に更新できて、無限にそのことだけを考え続けられる地点、所謂"楽しい"に到達していなかった。

理由は簡単でこれまで何度も紹介してきた。
理想の出力までが長いこと。
現在よく触っているUnityもネットや本の情報を持ってきて少しいじるだけで理想の結果が出る。

だから私はこう考える。
✕絵の技術を身に付けるには短時間では難しい
〇絵の技術を短時間で身に付けられるような工夫をしていく

技術や力量について疑問を抱くのではなく、やり方に疑問を抱く。
プログラムに関しては学習するためのやり方をここ半年あたりで身に付けた。そのため、UnityのC#にはこれまで以上にどういう処理になっているかを理解しやすくなった。

プログラムでできるなら絵でもできる。
そう考えると、これまでのやり方、これからのやり方について自分が成功と思えるやり方、向き合い方を改めて考える必要がある。
もちろん、技量という名の感覚がダイレクトに出力されるため、また1年後には同じように挫折しているかもしれない。

今日からすぐに改めて再開、というわけにはいかない(精神がついていっていない)が、Unityを触り続けることでどんなアプローチが自分にあっているのかを考える。

絵はミスが目立ちやすいためその場で修正箇所が目についてしまうことは1つの問題だと今思う。
現在自分はプログラムに対して以下のような向き合い方をしている。
一度、全体(完成と思う形)を作成し、実行および読み込ませてエラー(修正箇所)を吐き出させる。修正したら、プログラムの内容のガイド(※)を作成している。
※ここでいうガイドとは、どこでどういう処理が働いているか、構文の意味を書いたメモのことを指す。

こうして向き合い方を見比べてみるとアプローチが全く違っている。
いろんな先生がおっしゃっている”とりあえず今の実力で完成させろ。話はそれからだ。”というアプローチがプログラムではできて、絵では全くできていないということが分かる。
その基本のアプローチを頭でわかっていても目に見えるエラーで目が眩み、最終的には見失って断念してしまうという負のループを繰り返していた。

いつか話した”本質が同じことを片方ではできて、片方ではできない”という現象が相変わらず続いている。

以上より、まず、なぜ同じようなことが絵ではできないのかを考える必要がある。ようはできない原因を探るということ。
頭でわかっていても改めて文字に起こす必要はあると思う。

次に、最近見た動画の内容から、物体の立体感をあらゆる角度から表現できるようにすること。
慣れている角度ではいけない。そのため、Unityを使用して四角形に向けたカメラの場所をランダムに設定するなど、どちらも生かせるような方法を考えてみるのもいいかもしれない。

絵に向き合うのは今すぐにとはいかない(いかなかった)が、近々復帰したいとは思う。

Unityを最近続けて改めて感じる。
”できる=楽しさ”だということを。

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