日記#231#232

#231 3月18日

今日はMMDをUnityで動かす方法を試してみた。
まだ自分でモーション作成することはできないので他の人のモーションをお借りさせていただいた。

結論を言うと、重いモーションファイルでは読み込みに失敗する、だ。
Miku_Bikkuriの方は画質は荒くなるがスムーズに動いていた。
対してぽっぴっぽー モーションの方は読み込みの段階で失敗している。

私の使用しているパソコンのスペックが足りないことが原因だと考えられるため、BlenderおよびUnityでアニメーション作成はひとまず諦めの方針で動く。

ここからは今できることで考えていく必要がある。

#232 3月19日

今日の大半はゲームに費やした。
急いで手に入れておきたい報酬があるため、ストーリーはしっかり読みつつ急いで進めていた。
今回は動画編集や分析の対象とは異なる完全に趣味のゲーム。
ゆくゆくは趣味のゲームも投稿できるようにそれ以外のことを固めていきたい。

ここは、”それ以外のこと”の話をする。
Blenderでモデル作ってUnityでゲーム作るのはいいのだが、肝心のシナリオがすぐ死ネタになってしまうことで若干の躊躇が起きている。

以前話題に挙げた自作ゲームのシナリオも死ネタが含まれている。
私自身にとってそれ以外の部分に強い面白さを感じているのはいいのだが、なんでも死ネタで釣ろうとするのは良くないと最近感じている。

極端な話、人を殺さないと感動させられないの?というお話だ。
私は人が死ぬことによって生じる悲しさや感動が存在することは知っている。しかし、それをあまりにも軽率に扱いすぎるのはいつか自分の首を絞めることになるのではないかという恐怖心がある。

そこで日常というものについて考える時がある。
人1人が笑い、悩み、怒り、悲しむ。
そんな当たり前の日常を、何気ない日常を上手に描けたなら、それは最も強い表現なのではないか。

こんなありふれた日常というなんの刺激もないストーリーに興味は惹かれないだろうが、”この1日はかけがえのない1日”と謳うのであれば、日常を上手に描けることがその1日をよりよく魅せてくれるのではないだろうか。1日の重みを伝えることができるのではないだろうか。
1日で起きていることは何気ないことかもしれないが、確実に事は起きている。
今日1日なにもしなかった日など本当は存在しない。
だから、なにもできなかったという表現の方が正しいと思う。

以上は私に向けての注意や考えだ。

話は変わるが、このなんの変哲もない日記の1ページを読んでいる暇を持て余したあなたが、心動かされる作品から”なにげない今日がかけがえのない今日”と感じたのであれば、これまでのあなたの日々や今日、明日について改めて考えてみるのもいい暇つぶしになると思う。


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