日記#105#106

#105 11月13日

最近、ものすごくだれている。
そろそろ頭を戻さないといけないのだが、熱が吹き返してこない。
そんな微かな希望に縋り付いていても常に燃え盛っている人には及ばない。

そうは言いつつも私にも熱がないわけではない。
常に思い描くシーンがあり、常に胸を打つ綴りがある。
ただ、それらをどんな形でも再現しようという熱さには届いていない。
きっと心の奥底ではできないと割り切ってしまっているのかもしれない。

私はどうにかして上手くなろうとしていたあの時の熱を知っている。
できないことはできないと割り切れていたあの時を知っている。
だから”初心に戻る”について考えてみた。

どうやったら初心に戻れるのだろうか。
私はすでに100日程度の知識と経験がある。
その間になにもやらなかった日はあれど、日記をつけている以上事実ではある。
今ではその経験と知識が逆に邪魔をしているとしか考えられない。
下手を下手と割り切れないまま、今日まで生きている。

いつか、変なプライドを捨てるという日記をつけたことがあったが、その日から私はそれをできた日があった記憶がない。
だから、初心=あの日の”たどり着くためならなんでもやる”という気持ちに戻ることができた例がない。

上のことは逃げるためのただの言い訳だという思いもある。
だって、私が望むものはそれを完成させた人がそれまでの人生の経験全部を乗せたものなのだから、追いつくはずがない。

熱とは楽しさ。
私が楽しいと感じる瞬間はこれまで何度も繰り返してきたとおり、”できる”ということ。
そのため、思い描くシーンを表せないということは楽しくないということと同義。

だから、必要なことでできることを増やしていくことが最善なのだと思う。
今の私ができること。これからの私ができそうなことを考えなくてはならない。
そもそも、できそうなことを探すことも割と一苦労ではあると思う。
そう考えてしまうほどに描くことに隔たりができてしまっていることに悔しさと悲しさを覚える。

伏せている趣味のように、面白そうという感情だけで飛びつけるような状態ではない。それは目標のようにならなくてはならないという縛りが原因なのかもしれない。

ここまで記載してこれまでできるようになったことを改めて思い返してみた。そうしたら実は目標を持たない方が身のためなんじゃないかと思い始めてきた。
伏せている趣味は面白いものをいじって自分の好きな形に寄せているし、仕事で扱っているVBAというものは面倒くさいという状況を解消するために使っている。
その過程でこのレベルまでできるようにならなくてはいけないという思いは一切なかった。
例えば、”VBAで○○が開発できるようにならなければいけない”や”制御文をこの範囲まで覚えなければいけない”という思いがなかったということ。
ただ、面倒くさいことを解消するために色々集めてその過程で、何度も使うものが身に付いたというだけだ。

そう考えていくと自分には目標と言われる目標がない方がいいのではないかと思える。
イラストという絵柄が見えるものとしてそこに存在しているものを目標にしないということ自体が難しいことかもしれない。しかし、そういう今日のために今日を生きるみたいな行き当たりばったりの性格なのかもしれない。

ここから先の考え事についてはコラムで追記していく。

#106 11月14日

早めに寝る必要があったので寝た。
昨日の思ったことによって逆に追い詰めないように、1度OFF状態に切り替えた時は1日くらいそういう時間があってもいいとは思う。

そうは言っても昨日に関しては、ただ何もしなかった。


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