コラム:初心に戻るとは?

※これは大半が日記#105#106から転載している。

最近、ものすごくだれている。
そろそろ頭を戻さないといけないのだが、熱が吹き返してこない。
そんな微かな希望に縋り付いていても常に燃え盛っている人には及ばない。

そうは言いつつも私にも熱がないわけではない。
常に思い描くシーンがあり、常に胸を打つ綴りがある。
ただ、それらをどんな形でも再現しようという熱さには届いていない。
きっと心の奥底ではできないと割り切ってしまっているのかもしれない。

私はどうにかして上手くなろうとしていたあの時の熱を知っている。
できないことはできないと割り切れていたあの時を知っている。
だから”初心に戻る”について考えてみた。

どうやったら初心に戻れるのだろうか。
私はすでに100日程度の知識と経験がある。
その間になにもやらなかった日はあれど、日記をつけている以上事実ではある。
今ではその経験と知識が逆に邪魔をしているとしか考えられない。
下手を下手と割り切れないまま、今日まで生きている。

いつか、変なプライドを捨てるという日記をつけたことがあったが、その日から私はそれをできた日があった記憶がない。
だから、初心=あの日の”たどり着くためならなんでもやる”という気持ちに戻ることができた例がない。

上のことは逃げるためのただの言い訳だという思いもある。
だって、私が望むものはそれを完成させた人がそれまでの人生の経験全部を乗せたものなのだから、追いつくはずがない。

熱とは楽しさ。
私が楽しいと感じる瞬間はこれまで何度も繰り返してきたとおり、”できる”ということ。
そのため、思い描くシーンを表せないということは楽しくないということと同義。

だから、必要なことでできることを増やしていくことが最善なのだと思う。
今の私ができること。これからの私ができそうなことを考えなくてはならない。
そもそも、できそうなことを探すことも割と一苦労ではあると思う。
そう考えてしまうほどに描くことに隔たりができてしまっていることに悔しさと悲しさを覚える。

伏せている趣味のように、面白そうという感情だけで飛びつけるような状態ではない。それは目標のようにならなくてはならないという縛りが原因なのかもしれない。

ここまで記載してこれまでできるようになったことを改めて思い返してみた。そうしたら実は目標を持たない方が身のためなんじゃないかと思い始めてきた。
伏せている趣味は面白いものをいじって自分の好きな形に寄せているし、仕事で扱っているVBAというものは面倒くさいという状況を解消するために使っている。
その過程でこのレベルまでできるようにならなくてはいけないという思いは一切なかった。
例えば、”VBAで○○が開発できるようにならなければいけない”や”制御文をこの範囲まで覚えなければいけない”という思いがなかったということ。
ただ、面倒くさいことを解消するために色々集めてその過程で、何度も使うものが身に付いたというだけだ。

そう考えていくと自分には目標と言われる目標がない方がいいのではないかと思える。
イラストという絵柄が見えるものとしてそこに存在しているものを目標にしないということ自体が難しいことかもしれない。しかし、そういう今日のために今日を生きるみたいな行き当たりばったりの性格なのかもしれない。

改めてまとめると
自分にとって今のイラストの目標というものがその絵柄にあわせなければならないという呪いになっていると思った。
だから、確定する目標ではなく、なれたらいいな感覚で胸の内に残しておこうと思う。
それこそが自分にとって初心に戻るということなのではないだろうか。


この目標を作らない考え方はプロの言葉とは全く逆のことを言っている。
なぜなら目標を立てることでそこまでの道が決まるから。

でも私の理想は商業イラストだ。
しかも、メイキング動画が全くない。
だから、こうも思う。
そもそも目標とする場所までの道が分からないなら最初から目標がないことと同じではないのか、と。

実際は違う。
目標に対して試行錯誤することが道なのだから。
どう近づけたらいいのかを考え実行することが道なのだから。
私はそれすらも放棄している、逃げていると捉えていい。

だから、みんなはプロに従った方がいい。
だってプロなのだから。
実績は説得力だ。
こんな一般市民の付録よりは遥かにプロの言葉を信じるべきだ。



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