日記#243#244
#243 3月30日
今日はあることを思った。
選ばれなかった側の想いは偽物なのか?ということだ。
発端はギャルゲーやハーレムラブコメ。
主人公の彼女になれるのは多くの少女の中で1人だけだ。
選ばれたヒロインの想いは本物であったと言えるだろう。
では、選ばれなかった側の少女たちの想いは偽物なのだろうか。
ヒロアカでは飯田君というキャラクターが友達を救うために動こうとしている主人公たちを止めようと、必死になるシーンがある。
その時に、以下のセリフがある。
古い話だが、”負けたのは気持ちが足りないから”といった根性論がある。
完全に間違っているわけではないのだが、完全に間違っていないわけでもない。
気持ちが強いからと言ってなんでも上手くいくようにはなっていない。
私たちが私たちである限り、常に”○○である側(いわゆる勝ち側)”と”○○でない側(負け側)”が存在する。
そして、私たちが私たちである限り、メインとなる人物(主人公、ヒロインなど)に目が行きがちで、作者もそうなるように誘導していく。
その時、対象以外のキャラクターに目を向けた時に彼ら・彼女らは何をおもって生活しているのだろうか。
誰をおもって生きていけるのか。
そういうことにも目を向けていけるようになるともう少し色々なことが見えて、色々なことを考えられるようになるのかもしれない。
考えていたことを書き並べていただけなので支離滅裂かもしれないが、そういったことを考えていた。
少し、考えが大きくなってきたのでこの話はコラムにする。
あと、思ったよりも熱くなってしまったので今日はコラムを途中まで書いて終了した。
#244 3月31日
今日もコラムを書いていた。
映画を見ながらだったので気を取られ、考えも上手くまとまらないことが多かったのであまり進まなかった。
私はアニメや映画などの動く映像を見ながら作業というものが苦手だ。
動くものを追ってしまうからだ。
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