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プロセカ:「あの日、空は遠かった」感想 かつて友達だった私たちへ

本当に面白かった。

エロゲから輸入されたようなキャラ造形の高木未羽が良い味を出している。媒体が媒体なら、志歩との出会いのシーンで彼女は屋上のフェンスの向こう側に立っているか、或いは給水塔の上に腰掛けていたはずだ。もしかしたら既に死んでいて、話しているのは幽霊かもしれない。

それはさておき、やはりLeo/needのイベントストーリーはいつも面白い。

そう言いたいのはやまやまだが、正直なところ「Unnamed Harmony」や「Knock the Future!!」は面白くなかった。ポジティブな感想を書く気にならない程度には、だ。僕が思うLeo/needのストーリーの面白さはその具体性とリアリティに依拠しており、今回の「あの日、空は遠かった」はそれに即している。一方で前述の2つにはそれが無くて……という話を詳しくしてもいいが、それはまた別に機会があれば書く。

信念に殉ずること

中学時代の志歩に何があったのか。友達を守るために自己犠牲の孤立を選んだことは既に語られているが、そこへのダメ押しの一手になった軽音部との決別と、今に至る経緯の詳細が明かされることとなった。

志歩の語りを聞き終えた面々は、彼女の孤独の日々への共感と、勇気なきかつての自分たちを侘びて泣く。ここで、同情につられて「志歩は悪くない」と言わせなかったライターのバランス感覚を僕は高く評価したい。

というのも、先輩たちが夢見た思い出づくりのゆるゆるバンドライフを志歩が破壊したことは紛れもない事実だからだ。大人の世界なら、活動方針が曖昧なまま参加した志歩にも非はあり、方針にそぐわないなら速やかに抜けるのがクレバーな選択と判断される。とはいえ彼女たちは未成熟な中学生で、ここではこの写実性の高い学校社会の描写こそ、レオニのストーリーの味な部分というものだろう。

ともかく、中学時代のエピソードから受け取るべきことは、志歩はただ孤立したのではく、孤独と音楽への信念を天秤にかけて信念を選び取ったということだ。彼女の孤独は強すぎる自己犠牲の精神と、音楽に対する信念を曲げなかった故の結果で、他の悪意によるものでもない。

志歩は断じて悲劇のヒロインではない。彼女は、信念に殉じたのだ。

だから音楽を続けるしかなかった。いつか、同じ夢を志して共に歩んでくれる仲間を見つけられるその日が来ると信じて。その結果は言うまでもない。

「……私はね。私達は、前に進むしかないって思うんだ。いつか“そうじゃなくなる日”がくるかもしれないって信じて」
「私が屋上に来て、ギターを始めたみたいに。 日野森さんがバンドを組んだみたいにさ」
「少しずつ、変わっていくしかないんだって思う」


「次の学校ではね、もうちょっと頑張ってみようと思うんだ」
「寂しくなったらギターを弾いて、また頑張ってみて……。 それでうまくいくかもしれないし、いかないかもしれない」
「でも、諦めないで——やり続けてみようと思う」
「だから日野森さんも……。 頑張れるといいね」

高木未羽(6話「黄昏に隠した願い」)

去り際の未羽のこの言葉に、志歩も、一歌達も、ひいては僕たち読者も感謝しなければならない。

かつて友達だった私たちへ

そんな志歩と未羽は、渋谷のスクランブル交差点という雑踏の中で運命的な再会をするわけだが、ここで直接的な会話が発生しなかったのが最高だと思う。

というのも、昔日の屋上において、志歩と未羽の関係は決して友達ではないからだ。ただ孤独を共有する者同士として2人は出会い、そして別れた。「いつか“そうじゃなくなる日”がくるかもしれない」と前に進み続けた2人のうち、一方はかつての親友を取り戻し、他方は別れて進んだ先で新たに親友を得た。だからお互いの頑張りが身を結んだことを讃えるだけで声をかけない。2人の間にあるのは友達ではない者同士の距離だからだ。

しかし、時間が経つことで気付けることもある。その音楽と屋上が繋いだ薄氷の絆も友達と呼べるもだったという、傍から見れば自明の気付きだ。それにもかかわらず、未羽は親友からの「(志歩たちを指して)友達?」という問いに答える。

「——うん。そうだね」
「初めての友達——だったんだと思う」

高木未羽 (8話「進んだ先にあった『今』」)

あの日、自分が屋上で同じように訪ねた時の志歩の答えに対比させるかのように。

「——違うよ」
「…………。 ううん。友達、だった」

日野森志歩 ( 5話「淡い期待」)

ここ、マジで最高。

屋上から見下ろした空

そんな美しい構造を成したストーリーだったが、イベントタイトルの芸術点も高すぎる。牽強付会の深読みおじさんは僕の嫌いな存在の一種だが、ここでは気持ちよくならせてほしい。

まずタイトルの空が実在としての空(sky)でないことは自明だ。今回のストーリーは屋上を起点にしたものであり、客観的に見れば志歩は空から遠くないし、むしろ近い。加えて言えば空を見上げる描写も特にない。

ここで言われている空とは一歌、咲希、穂波、志歩が4人で一緒にいることの換喩だ。

Leo/needの4人にとって空や星は特別な表象で、空が見えることや、そこに広がる星空は皆で一緒に入られることを指している。これは初期から度々用いられている表現で、ある程度は意図的なものだと信じたい。

「星……今日はあんまり見えないな」
「(隣にみんながいないから……なのかな)」

望月穂波(Leo/need ユニットストーリー 8話「見えない星」)
緑の流星に3色の星が追いつきLeo/needのロゴになる(「Resonate with you」の最後)
STAGE OF SEKAIのバーチャルライブ映像、星々が集まり渾天儀に成るサビ前

今回のストーリーでは、屋上から一歌や穂波を見下ろし、かつて友達だった自分達に思いを馳せる構図が何度も登場する。袂を分かれた友達と再び一緒になること、なれる場所が"空"だ。一方、当たり前だが空は地球上にいる限りは見上げる対象である。空に近い場所から本来見上げるべき空を見下ろすという倒錯的な構図のレトリックが、今回のタイトルには組み込まれている。

イベントタイトルのセンスで言えば、これまでで文句なしのNo.1だ。

50本目のイベントストーリー

雨上がりの一番星から始まったイベントストーリーもこれで50本目になる。もっとも、それらしい語句でパブサしてもそれに言及している人は数名だったし、周期的には7周目というあまり美しくないカウントになってはいるため、8周目が終わった時に言及する人が多いとは思われる。とはいえ、50本目というのは節目であり、それに相応しいストーリーだったという思いだ。

曖昧にされてきた過去に焦点を当てることで今を背景的に語る手法はガルパの頃からよくやっていて、プロセカでも「いつか、絶望の底から」以降は深堀りシーズンに突入したらしい。物語は一方向へ伸ばし続けるだけが全てではないし、それにはおそらく限界がある。こういう過去を語るストーリーは書かれるだけで、作中世界が立体的になって良い。


「流石に2022年は更新する」→「2月中には書くわガハハ」ときて3月になる。半年ぶりの更新になってしまったが、今年はサボりすぎない程度に書きたいことを書いていこうと思う(たまにはプロセカ以外のことも)。Twitterのアカウントも紐付けたので、読んでくれた方は是非フォローしていただきたい。

感想等も引き続きお待ちしています。

お題箱:https://odaibako.net/u/MiRAi_GAZER

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