便利さに追い越される
我が家(実家)は建ててから25年ほど経つ。
その間に元々ついていたガスコンロの3口中1口が壊れ、別で1口増設してだましだまし使っていた。
それが今回別の1口も壊れ、3口中2口がだめになってしまったので、いよいよガスコンロ自体を交換しようという話になった。
カタログに並んでいたのは多くが上位機種で、いつ何に使うんだかさっぱりわからない機能がついてたり、長い横文字の素材を使っていたりした。
うち(家族の総意)としてはもっとも下位の、もっともシンプルな機種でなんの不満もなかったが、取付工事をしてくれるガス店がカタログより値引きするというので、結局ちょっとだけ上位の機種を選んだらしい。(お金を出したのは母なので、母が)
あっという間に新コンロになり、私が毎日使っている。のだが……
まぁ〜使いにくいんだこれが。
まず、25年前のコンロは右側が火力が強く、左側と奥の小コンロが火力が弱かった。
しかし、今どきのコンロは左右で火力の差などないらしい。
これまで「メインおかずは火力の強いほう、味噌汁やサブおかずは火力の弱いほう」で使い分けていたので……ちょっとやりづらい。
自分で火力を調整すればいい話なのだが「無意識で使い分けできていた」状態からするとストレスを感じる。ストレス度10。
そして、グリルが進化した。
基本が網じゃないのだ。多分これと同じやつ。リンナイのココットプレート。
面はボコボコと波を打っていて、油が落ちそうな感じ。(※勘)
これで先日秋刀魚を焼いたら、皮が全部張り付いてボロボロ、見るも無惨な姿に……
取説を見たら「基本的にカバーをして使用する。使い始めは数分空焼きする。使う前には油を塗る。さもないとくっつきます(※誇張)」と書いてあった。
全部やってなかった。ストレス度50。
さらに、謎に火力調整をしてくれる。
何やらコンロ側が自動で感知して、火が強すぎたら勝手に弱めたり、ときには消したりしてくれる。らしい。
しょっちゅう調理中に「ピッ」「ピピッ」「ピピピッ」「ピピピピッ」「ピピピピピッ」と鳴り(嘘みたいだが、ピッの鳴り方が1回〜5回まで全部違う意味があるらしい。いちいち取説を見るタイプではないので知らんけど。)、なんか勝手に火が弱くなったり消えたりする。
おいマジかよ。今ここからガンガンに盛り上げて(焼いて)いきたいタイミングで消えるって何なんだよ。
ライブが始まった瞬間に帰る客かお前。ストレス度85。
もっと言うとコイツ、タイマー機能とかオート機能とか温度調整機能とかもついてた(取説読んだ)。
でも、
「あと3分で焼けるから、3分タイマーつけよ♪」→つけん。長年主婦やってる人間はあと何分で焼きあがるとか考えて料理してない。
「材料を入れてオート機能をぽちっ、あとはできあがりを待つだけ♪」→待たん。長年主婦やってる自分の感覚のほうが確実で早い。
「今日は揚げ物、180℃に設定して教えてもらうの♪」→いらん。長年主婦やってれば箸入れりゃ揚げどきはわかる。
こんな感じで、一切機能いらないっていうかむしろ邪魔ってなってる。どんな機能の説明よりも今は全機能を停止する方法が知りたい。
買う前は「最新機種だから便利なんだろうなぁ〜」とみんなが思ってたし、お金を出した母としてもそう思わずにはいられないので、ことあるごとに「これ(コンロ)は賢いから!!」と決め台詞を叩き出す。
確かにそうなんだが、賢いのは賢いんだが……
その機能が今さら自分に必要なのかどうかは考えるべきだった。
なんの機能もない状態に慣れすぎて、変化に対応できない。
この感覚、すっかり年寄り側じゃないかと、正直愕然とした。
私おばあちゃんじゃんと。
人は便利さを追い求めるし、便利になるのはいいことだ。
その一方で、置いていかれる人もいる。ついていけない人もいる。そもそも便利さを求めない人もいる。
ほんとは、順応していくべきなんだろう。
同じ場所でボケーっと立ってたら、私たちは便利さにどんどん追い越されていく。
「へええ、今はこうなんだ、すごいねぇ〜」と、よくお年寄りが言う台詞を自然に口にするようになり、文字通り老いていくのだ。
若者ぶりたくはないが、さすがにまだ並走はしていたい。
とりあえずガスコンロに喧嘩を売らずに、手を取り合ってやっていく折衷案を模索するところから始めたいと思う。