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目の前から子どもたちが一斉に消えた2020年3月。
元安倍首相による「全国一斉休校」の決定。
当たり前だったことが、突如崩れた時の空虚さは今でも忘れられません。

あれからもうすぐ2年。
私は今、人生の転機を迎えています。
誰もが予定通りに通るであろう道から、外れてみることにしました。

この2年を、ざっくりと振り返ってみようと思います。

現在47歳。23歳の時から公立の小学校教員をしています。
自分が小学校に入学してから今まで、私はずっと「学校」という場所に居続けているのです。よく考えると特殊な人生だな思います。そのため、自分にとって「学校」というものが、他の人よりもおそらく絶対的な存在になっているんだろうなと思います。4月始まり3月終わり。学校の1年間の流れも、この数十年間、特に変わっていません。この「学校文化」とも言うべきシステムに、体も頭も慣れきっています。そう、私の人生は「学校」という不滅、不動のシステムを軸にしているのです。47歳になる今でも。

そこに全国一斉に学校が止まるという、前代未聞の出来事が起こったわけです。

さて、私を含め、教員はその時何を思い、どんな行動をとったでしょう。
あくまでも個人的に感じたことですが、以下のパターンに分かれたように思います。

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これは、どれが正解だとか、良いとか悪いとか、そういうことを意図して分類したわけではりません。どれか一つのパターンにはまる方もいれば、時期によって変化する人、あるいは幾つかのパターンを同時に持ち合わせた方もいたはずです。

私はというと‥
「内省型」にはまってしまいました。

当たり前だったことが当たり前でなくなり、頭の中に「問い」がたくさん立ち上がりました。

「学校なくても成り立つの?」
「学校が毎日ある理由は?」
「そもそも学校はなんのためにあるの?」
「子どもがいないと教師の仕事は止まるの?」
「学校がなかったら子どもは勉強しないの?」
「何か与えないと学びが止まってしまう教育って‥?」

子どもたちのいない空虚な学校に出勤しては、もやもや考えるという毎日が続いたのです。

そんなある日
まるで頭を殴られたような、目が覚めるような話を偶然耳にしたのです。

それは、
NHKの番組に出演していた、熊本大学の苫野一徳先生のお話でした。

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ここからです。
火がついたように、私は学校教育について見直す勉強を始めました。

つづく。yukina

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