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前回の続きです。
今回の記事は、自分自身への戒めの意味も含めています。
もしかすると、「学校批判」のように感じる方がいるかもしれません。
正直、そういう時期も少しありました。
しかし、そのフェーズはすぐに通り越すことができました。
否定や批判をしている暇があるのなら、未来に向けて考えて動いた方が
何かを少しでも変えられると思ったのです。小さな私でも。

動き始めた私。まるでイノシシ。

NHKで見た、熊本大学の苫野一徳先生のお話をきっかけに、
学び直しを始めた私ですが、見えてきたのはこれでした。

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子どもの数は減ってきているのに、増え続けているこれらの問題は、
大正時代から変わらない
一律一斉教育によるシステムエラーであるということです。

言われた事を言われた通りにできる人材が
多く必要とされる時代は、もうとっくに終わっているのです。


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子どもを取り巻く様々な問題について、
それが今の学校教育の構造に問題があると考える教員が、
どれくらいいるでしょうか。
過去の私も含め、正直少ないと感じています。

子どもの能力的な問題だとしたり、家庭に問題があるとしたり。
あるいは担任のせいにしたり。

学校教育(あるいは社会)の構造、カリキュラムや環境、
学校内の組織力などを問い直す声が上がらないのです。

それはなぜなのか。

なぜ簡単に「人」のせいにしてしまうのか。

私が自分なりに考えて辿り着いた答えは、シンプルなものでした。

  人間は楽で便利な方を選ぶ生き物

だからです。

長年続いている何かを変える時には、痛みを伴うことがあります。
新しいことを創造し、それを形にするには、かなりの労力が必要です。
一人で行動しようとしても、
そこに立ちはだかる壁は厚く、何枚にもなります。

前年までやっていた事をそのまま引き継ぐ方が楽だと考えるのです。

いやむしろ、
前年度までのことを引き継ぐ事こそが、大切だと思っている人が
多いように思います。(それが大事な場合ももちろんあります。)

しかし、学校はその繰り返しの結果、超多忙な職場となってしまいました。

なぜこんなに忙しいのか、考える暇もなく、見直す暇もなく
前例踏襲を続けているところがあります。

そして
職員会議は「やり方報告会」。
生徒指導についての会議は「トラブル報告会」。
研究授業についての審議会は「指導内容の確認会」などなど‥。

「やり方」ばかりを伝える会議が多くなっています。
私たちはそろそろ本気で
教師としての「あり方」、学校の「あり方」について問い直し、
周りと対話をしていく時期に来ているのではないか。

そんなことをやっと考えられるようになったのです。私も。
遅すぎますよね。

ふと全国を見回すと、未来に向けた教育のビジョンをはっきりさせ、
変革を求めて動いている方々がすでにたくさんいました。官民問わず。

「こういう方たちと繋がりたい。」

そう思った私は、ついにFacebookに投稿を始めました。

「この人の考えや行動から勉強したい。」と思ったら、
すぐにダイレクトメッセージを送って、
友達申請の許可をいただくという行動を、毎日のように繰り返しました。

有名な方だろうが、他県の教育長だろうが、官僚だろうが。
学びたい一心でアプローチ。
有難ことに、皆さんすぐに繋がってくださるのです。
多忙な中、返信も丁寧に返ってきます。
「みんなで変えていこう」という雰囲気を感じました。

まるで猪の勢いです。🐗💨 私は寅年ですが。🐯

つづく。yukina


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