見出し画像

未来について(自己紹介)②

前の記事の続きです。

23歳で結婚するまで、秋田市で育ちました。

自然がいっぱい。というか、自然しかない。笑

美味しい空気と水、恵まれた環境のなか、野山を駆け回ってのびのびと育ちました。

小さい頃から、学校の先生や周りの大人に

「感受性が強い」とよく言われていました。

小さい頃は「かんじゅせいってなんだろう」と不思議に思っていましたが

成長するにつれてその意味が分かるようになりました。

感覚が鋭かったのはその頃からのようでした。

それでも小さい頃の私は、「不思議ちゃん」であることを隠さずナチュラルに生きていたと思います。

だけど次第に周りの反応がチクっと刺さるようになりました。

「私って変なの?」

変わっているねって指摘されるたびに、自分は人と違うのかもしれないと悩むようになりました。

感覚が鋭すぎるせいで、他の人が普通にできることが、私にはできません。それに、人には感じないことまで感じるから、とても疲れてしまいます。

人間関係にも疲れ果て、「ダメ人間」だと自分で自分にマイナスなラベルを貼って生きていました。

そんな自分が嫌で、どうにかして「普通の人」になれないかと、偽りの自分を演じるようになりました。

それが、さらに自分を苦しめていくことになるとは知らなかったのです。

自分を否定して、嘘偽りの自分で生きているものだから

周りに現れる人も、起こる現象も、「自分を否定するもの」と共鳴します。

何もかも上手くいかないのは、強すぎる感受性そのものだったのではなくて、真の自分を認めてないこと、なのでした。

それに気が付いたきっかけになったのが《マヤ暦》との出会いでした。

まず、自分自身の個性に気が付きました。

感受性の強い不思議ちゃん…

マヤ暦では、生まれ持った個性を紋章で表しますが、まんま、私の持ってる性質を表す紋章が出てきました。

そっか私、そういう人なんだ…

そして使命…どんな役割をもって社会に役立てることができるのかというところでは『指導者』『先生』『人を導く人』、とでます。

あー。たしかに。そういえば人に何かを教えるのが好きだったなぁ。(小さい頃の夢は『学校の先生』でした。)

徐々に、「自分って何者なのか」を「思い出して」いきます。

人と違うことが悪いことやおかしいことなのではなくて

あくまでも『個性』。

さらに人との「ちがい」を知るほどに、人間関係での「なんで?どうして?」がなくなりました。

みんなちがって、みんないい。

イン・ラケッチ(マヤの言葉で「私はあなた、あなたは私」という意味)

ちがいを認めて、その個性をどう活かすか、にフォーカスし始めたとたん

今まで感じていた生き辛さから解放されたのです。

そして、かつての私のように、本当の自分がわからずに迷子になっている人や、変わりたいのに変われない、うまくいかない原因すら分からず苦しんでいる人たちの力になりたいと思い、カウンセラーとして活動することに決めました。

強い感受性は、『高い共感力』という強みに変わりました。

幼少の頃から体験してきた数々の試練や学び(またの機会に書きたいと思います。)を通じてわかったことで、きっとお客様の悩みに寄り添うことができるはず。

私にしかできない、寄り添い方、サポートの仕方があるはず。

私とお話した方皆さんが、笑顔になってくださるのが嬉しくて楽しくて。

マヤ暦や、算命学を入り口としてはいますが、目的はまず、自分を知ること。

自分を知って認めることが、すべての問題解決につながるといっても過言ではないと思っています。

起こる出来事や目の前に現れる人は全て、自分の心の投影であるということも、日々、お伝えしていること。

このnoteでは、私が体験し学んできたことをアウトプットし、その中からシェアさせていただくことで、誰かの役に立てるのではないかなぁと思っています。

日々、勉強。死ぬまで、学び。

読んでくださり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?