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彼岸に見た夢

数日前、父の夢を見た。

そういえば彼岸の入の日だった。
父が亡くなってもう20年以上経つのだが、それから夢に出てきたことは数えるほどしかない。別段変わった夢でもないのだけど、なんとなく印象的だったので書いてみることにする。

**過去にあった事件で父親を亡くした少年と会う。その事件は未だに天災か人為的な事故だったのかよくわかっていない。彼はその経緯をよく把握しているのだが、思い悩んでいる様子はない。私はその事件を調査する仕事をしてきたのだが、今日で一応終了となるので、自分の荷物を引き上げようとしている。忘れていたものが結構ある。そのあと病気で療養している父のところに行く。思ったより元気そうなので嬉しくなり駆け寄ってハグをする。

私が出会った父親を亡くした少年というのはおそらく父のことだ。父は、まだ子供の頃に亡くなった祖父のことを語ることはほとんどなかった。一枚の写真すら残っていなかったのは、祖父が亡くなったのが太平洋戦争が始まる直前で、その後空襲で家が全焼してしまったからだと思うのだが、私は子供の頃からずっと父方の系譜に喪失感のようなものを感じていた。喪失感と言ったら大袈裟かもしれないが、途切れている、繋がっていないという漠然とした感じを抱いていた。

祖父は大工で、菩提寺の山門を手掛けるようなこともしていたらしい。そのことはこのブログにも以前書いた気がする。大工の棟梁だったが、仕事がうまく回らなくなり、そのことを苦にして入水自殺してしまった。しかし表向きには病死ということになっており、本当のことはよくわからない。

祖父は篠笛がとても好きで、近隣の祭りに呼ばれては笛を吹いた。いつも夕飯が済むと窓際に腰かけて笛を吹いていた、と、一度だけ父が話していたことがある。

子供の頃父親を亡くしたことは、父の心に深い影を落としたのではないかとずっと思っていた。しかし夢の中の少年は思い悩んでいる様子はなかったし、そのあと会いに行った療養中の父は思ったより元気そうだった。だから、この夢が伝えようとしていることは、もはや私がそのことを気にする必要はないということかもしれない。

そういえば私が以前に感じていた、父方の系譜に対する喪失感のようなものは、ほとんどなくなっている。

父方の先祖たちについて詳しく知ることはなくても、実際に途切れているわけではなく(当たり前だが)、具体的に思い浮かべることは出来ないが、なんとなく繋がっているという感覚がある。

なんだか不思議だな、と思う。

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