言霊の霊験

 言霊という観念があります。これはよく言葉に宿った不思議な神力や霊力と説明されますが,ここではより構造的なお話しを致します。

 私たちはあまりにも言葉に慣れ親しみすぎたせいで,この霊験や不思議さを忘れがちですがそも言葉というものは,「そうだ」と信ずることで効力を発揮するものなので,仮になんの信用もまったくしないときには,まさにその為に無力なものです。

 例を挙げます。あなたが一杯のコーヒーを飲まんとするとき,まずは元となる粉を袋から出して,湯を沸かして……と,いくつかの準備と手順を踏むことでしょう。そこでは「これはコーヒーの元となる粉だ」とか,「この器は熱しても壊れない性質のものだ」とか,「沸騰とは……」といったさまざまな既有知識が働いています。これはすべて,あなたがそうだと判じたものを恒常的に同定し続けることで可能となっているものです。ここで仮に「いや,これは本当にコーヒーの元となる粉か……。そも,粉とはこうしたものか……」と疑い続けては,「コーヒー」や「粉」といった言葉の効果はうまく発揮されません。

 このような事態は,コーヒーを煎る過程に限らず,たとえば本稿を読んでいるまさにこのときにも働いていることが伺えます。言葉とは,あなたが「そうだ」と信ずることでようやく真価を発揮するのです。言い換えますと,言語とは言語によっては正当化しえない不思議な〝信用〟によって成立する技術なのです。

 てさ,この〝信用〟の仕方を一致させれば便利です。同じ指示対象を「コーヒー」と呼ぶことが出来れば,一つのビジネスが成り立ちます。

👱‍♂️「コーヒーを一つ」
👴「まいど。一杯〇〇円になるよ」

 こんなふうに……。

 さて,このような便利のために導入された観念が,本稿のタイトルにも在る〝言霊〟ということになります。

 同じ一つの或る霊体のようなもの──言霊を信仰することで,言葉は私たちを繋ぐようになったのです。私たちを,まさに今このテクストを介してあなたと私とを繋いでいるこの呪力を,言霊の霊験と呼ぶのです。

 それでは,あなたの人生にミラクルが在らんことを……。

フリーゼン・真実

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