逆さごと

 日本には逆さごとの文化が根付いています。おそらくこの「根付」きの原因は,死者と生者との峻別にあろうとおもわれ,私たち人間のしぜんな心的傾向によるものともおもわれます。

 私たちは境界のあいまいなものを得てして嫌います。この心的傾向のあらわれとしまして,抜けた途端に恐ろしく感じる髪の毛,口から出した途端に汚らしく感じるガム,従来の男女の区切りでは説明しがたい LGBT 等への嫌悪感が挙げられます。

 適切で合理的な区別もある他方で,実は私たちの能力を不当に制限してしまう区別もまたあります。兎にも角にも,がんらい区別というものが人工的であることを忘れてはなりません。

 そこで,逆さごとの文化が見直されることになります。死者と生者との峻別は確かに一見すると大切なことのようにおもえます。また,死というものを遼遠なものだと感じることができれば,ふだんの生活を営むのにあたっても安心感を得ることができるでしょう。

 しかし,そもそも死とはさほどに忌避すべきものでしょうか。もちろん自害を推奨するわけではありませんが,むしろ死というものを不要に忌避したせいで,逆に死を恐れながら生きなければならないディストピアに向かってしまう,ということはありえないことでしょうか。

 こんにち,幽霊を怖がる気持ち,自分以外には誰もいないはずの部屋にいても不安になる気持ちの根源にあるのが,不当なまでの死への忌避ではないでしょうか。

 私はこの「区別」を一旦破壊してみるために,ときおり北枕をして,壁の絵を逆に飾り,和装のときには死装束を試します。そうしますと,死というものをより身近に感じることができます。はじめの頃は怖さも感じましたが,今ではやってよかったとおもっています。

 と言いますのも,死と生とは文字通り表裏一体ですから,死を実感することは即ち自分の生の面──人生をより内省し,マインドフルに生きることでもあります。〝死〟を意識することで人生はより輝きます。

 逆に死を感じない人生は,いつまでもぐうたらと過ごしてしまいがちです。して,けっきょくは死に向かって老いてゆく,ということでもあります。

 北枕はよいものです。それをやるからといって死に近づくわけもありませんが,しかし死者との心の距離は縮んで,「……そうか。私もいずれはあなたのように死ぬのですね」という実感を高めてくれます。して,じぶんの生をより大切にできる心情に近づくというわけです。

 それでは,あなたの人生にミラクルが在らんことを……。

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