Amazing Grace(4)

図1 ターナー【嵐の中のオランダ船】

前回の投稿で、ジョンがアフリカからイギリスへ帰国の途についたことを書きました。

ジョンが乗った船は、金、象牙、キアイ(染料の藍が採れるマメ科の植物)、蜜蝋などを買い求める商業航海の途上にあり、ジョンが乗船してからも1年ほどはアフリカの近海を航海していました。
その間、ジョンは相変わらず、神を冒涜するような言葉と態度を示し続けました。
しまいには、船長から『悲しいかな、私はヨナを船に乗せてしまった。お前が行くところには常に災いがついてまわる』と、ジョンを旧約聖書のヨナに例えるまでになっていました。

主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」
しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった。
(ヨナ書 第1章 1節〜4節)

貿易の仕事が終わり、食料を積み込んだ船は、1748年1月、イギリスを目指して出発しました。
まず、ブラジルの海岸線近くまで西に移動し、それから北に進路を変え、イギリスに向かうという航路でした。
途中、カナダのニューファウンドランド島に寄り、ジョンたちは半日鱈を釣って過ごしました。食料は十分積んであったので、気分転換のためでした。
しかし後で、この鱈が重要な役割を果たすことになるとは、このときは誰も考えていませんでした。

そして3月9日、ジョンは時間潰しのために『ケンピスのトマス』という本を手に取り、読み始めました。この本に書かれていた一節を以下に紹介します。

『楽しい外出はしばしば悲しい帰宅をもたらし、
楽しい夕べは悲しい朝をつくる。
かくのごとくすべての肉欲の喜びは入るは楽しいが、最後は悔恨と死をもたらす。』

以前は無頓着に読んでいた本の内容について、ジョンの心の中に『もしここで述べられている事柄が真実であったら、いったいどうなるのだろう』という思いがよぎりました。
肉欲に溺れ、神様を冒涜する日々を過ごしてきたジョンにとって、イギリスに向かう楽しいはずの旅行が『最後は悔恨と死をもたらす』のではないかと考えたようです。
ジョンの中に残っていたわずかばかりの良心は、『お前が考えている通りになる』と、繰り返しジョンに訴えていました。
ジョンの中でこの思いはどんどん強くなり、恐ろしくなったジョンは本を閉じ、考えることを放棄してしまいました。

そして、ジョンの恐れていたことが起きてしまいました。
この日の夜、ジョンはいつものうぬぼれと無頓着な心のまま寝床につきましたが、船上に押し寄せた激しい波と風の力で深い眠りから覚まされたのです。
船倉は水浸しになり、甲板の上の方からは『船が沈没しかかっている』という叫び声が聞こえてきました。
ジョンも甲板に上がろうとしましたが、階段の途中で船長と出くわし、船長から『ナイフを持ってこい』と命じられました。
ジョンがナイフを取りに戻ると、別の人が上に上がって行きましたが、彼はすぐに波にさらわれ、船外に投げ出され、見えなくなりました。

この船は猛暑の中を長期間に渡って航海していたため、あちこち修理が必要でした。帆もロープもひどく使い古され、とても嵐に耐えられる状態ではありませんでした。
大波は、数分でこの船を難破船にしてしまいました。
乗組員はポンプを使って水を船外に出しましたが、何時間も懸命に努力したにも関わらず、水かさは増すばかりでした。バケツや手桶で水を汲み出す者もいましたが、焼け石に水でした。強風のためマストは折れ、帆は引き裂かれました。
ふつうなら、すぐにでも沈没しそうなものですが、船の積荷が蜜蝋や植物といった水に浮くものが多かったので、かろうじて沈没だけは免れている状態でした。
ジョンたちは、船の穴にベッドなどを押し付けて釘で固定し、隙間に衣類などを押し込んで浸水を食い止めつつ、ポンプで水を汲み出す作業を一晩中行いました。

明け方になり、風が弱まりました。ジョンは仲間の一人に、『あと数日もすれば、この苦しみも酒の席の話題になるだろうよ』とうそぶきましたが、仲間は涙ながらに『いや、もう手遅れだ』と答えました。
9時ごろ、ジョンは船長に話をしに行きましたが、戻る途中、ふいに
『もしこれがうまくいかないなら、主よ、私たちに慈悲を施したまえ』
と口にしました。何年かぶりに声に出した願い事でした。
ジョンは自分の言葉に不意をつかれましたが、同時に、『自分のためにどのような慈悲があり得るのか』という疑念が頭に浮かびました。
ジョンはポンプのところに戻り、流されないように体をロープでしっかりと縛りつけ、頭上に押し寄せる波という波を全てかぶりながら作業を行いました。
このとき、ジョンは『今にも船が水の中に沈み、もう再び上がってこれないだろう』と思い、『自分は死ぬのではないか』と恐れていたそうです。
また、『聖書の言葉を信じていなかった自分は、死んだら赦されることはない』とも思ったそうです。

3月10日、ジョンは朝の3時から昼までポンプで水の汲み出しを行っていましたが、体力の限界がきて、ベッドで横になりました。
1時間もすると、人が呼びに来ましたが、水の汲み出しをする体力はなかったので、船の舵取りを真夜中まで行いました。
一人で舵取りをしながら、ジョンはこれまでの行いを反省しました。
『聖書に述べられていることが真実なら、自分ほどの罪人はいないだろう。
振り返ると、これまで数々の恩恵を受けてきたのに、そのたびに神様に感謝もせずやり過ごしてきた。自分の罪は赦しがたいほど大きなものだ。』
その瞬間、ジョンの頭の中に、幼い頃母親が読み聞かせてくれた聖書の章句の数々が蘇ってきました。

しかし、わたしが呼びかけても拒み
手を伸べても意に介せず
わたしの勧めをことごとくなおざりにし
懲らしめを受け入れないなら
あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い
恐怖に襲われるとき、嘲笑うだろう。
恐怖が嵐のように襲い
災いがつむじ風のように起こり
苦難と苦悩があなたたちを襲うとき。
そのときになって
彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず
捜し求めてもわたしを見いだすことはできない。
彼らは知ることをいとい
主を畏れることを選ばず
わたしの勧めに従わず
懲らしめをすべてないがしろにした。
だから、自分たちの道が結んだ実を食べ
自分たちの意見に飽き足りるがよい。
(箴言 第1章 24節〜31節)

一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。
(ヘブライ人への手紙 第6章 4節〜6節)

わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。
(ペトロの手紙 二 第2章 20節)

これらの箇所は、ジョンの置かれた状況と、ジョンの性格にあまりにも符合していたので、ジョンは神様の存在を証明する証拠になるのではないかと考えました。

ジョンが自分の罪の深さに気づき、神様の存在を信じ始めたとき、神様はジョンに救いの手を差し伸べはじめました。
そのことについては、次回に書きたいと思います。

画像引用元:ターナー【嵐の中のオランダ船】


参考文献:
「アメージング・グレース」物語(増補版)
   ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝
 ジョン・ニュートン著  中澤幸夫 編訳

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