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144.仮魂ちゃんすぐ死にたがる

この記事を書いたとき、私にとって仮魂ちゃん(壁やブロック)はまだ忌々しきものであった。

“・壁やブロックも自分自身であること。 ・元々は、命や安全を守るためにあったもので、今は肥大化してモンスター化しているだけだということ でした(ここはまだちょっと腹に落ち切ってないので)”

それから2週間立った今、私は全く別の認識に至っている。今日はそれについてまとめておこうと思う。


ここ2週間は、プライベートでも、仕事でも、ちょっとしたミスやからかしが続いた。
例えば、作った資料がいけてなくて結果的にお客さんに迷惑をかけたとか、待ち合わせの時間を10分間違えたとか、トンチンカンな質問をして場の空気を凍らせたとか、まぁ大小いろいろ起こった。
「なんで〜!」というより、水星逆行によって、自分が知らず知らず仕込んだ時限爆弾が、一斉に爆発を起こした感じに近かった。

そのたび、私は「うっうっ死にたい。来世に期待」と心のなかで思っていた。
いつもはそれだけで落ち込んで、もうヤダ!になって終わっていたのだが、なぜか今回は引っかりを感じた。

ミスをした時に「うっうっ、死にたい。来世に期待」と思ってしまうのは、私がどんな認識を持ってるせいなのだろう?
これは仮魂ちゃんの気持ちを探る機会なのでは?

そう思った私は立ち止まって、この言葉の奥に潜っていってみることにした。

まずは極端ではあるが、
 死にたい=死んだほうがマシ
ということである。これを「生きる」をつかって表現してみると、
 生きていたくない=生きている方がツライ
になった。

生きるのがツライ。

ネットではわりと頻繁に見る言葉であるが、文字通り仮魂にとっては、多分本当に「生きるのがツライ」ということなのだろう。

仕事でミスしてお客さんのえらい人に、ダメのレッテルを貼られたら。
交友関係の中で比較的パワーのある人に疎まれたら。

別にいいじゃんと思う人もいると思うが、私のこれまでの人生においては、ここを外すことはまさに死に直結していた。

お客さんのえらい人は幼いない頃の先生や親の代わりであるし、高校ではパワーの比較的あるクラスメイトに対して結果的に気分を損ねる発言をしたため、入学早々複数人からイジメを受けた。

そう、世界で生きていくには強い人に有用性を示して守ってもらわないと生きていけない。
そうじゃないとすぐ見捨てられるし、イジメられる。
世界はすぐ攻撃してくる。痛い、ツライ。
それなら死んだように生きるほうがマシ。
人の軸で生きるのが楽。

深く潜った先で仮魂ちゃんはそう言って泣いてた。

ふむ、私が本魂で生きるためには、仮魂ちゃんのこの認識を変えてあげないといけないのだ。
すり抜けることでも、欺くこともでも、それは不可能だ。

「ほら楽しい」
「ほら安心」
「ほら大丈夫」
「ほら自分軸でうまく行った、喜ばれた」

ひとつひとつ、仮魂ちゃんが本心からそう思うまでやるしかない。
「死ぬ」とまで思ってるのだから、他の人よりも説得(開放)に時間かかって当然だよね〜(笑)

ただ希望があるとしたら、仮魂ちゃん自身も他の人があれこれやっているのを見て「世界って実は楽しい? 安心安全な場所?」と思う心も持っていることだ。

なんだか天ノ岩戸みたいだなぁと思う。
死の恐怖から岩戸に閉じこもるけど、それでも岩戸を少し開けて見たくなるのは外の楽しさだし、最後にまぶしいと思うのは自分の光(太陽意識)だ。

ということで、当面のやることは決まった。
とにかく仮魂ちゃんに安心安全!楽しい!を教えていくぞ。







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