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たくさん「ホーム」がある幸せ

5年半ぶりに高知県を訪れた。高知は2年間、わたしが住んでいた土地だ。


友人たちと再会し、なじみの場所をいくつか訪れながら。タイムスリップしているような、そんな感覚になった。


高知を離れる時の私は、毎日必死で生きていて、辛い思い出ばかりに目を向けていた。ツライ、しんどい……その感覚が拭えずに、再び高知を訪れることを避けていた。


高知に向かう車窓を眺めながら「やっぱり和歌山と高知は似てるな〜」と思った。そこでハッ!と気づいた。

私は、ずっと高知と、高知で過ごした日々が好きだった。イヤな場所ではなかったんだ、って。


3年ぶりに再会した友人が
「もう高知に来ないんだと思ってた」そう、言った。
彼女は、私が高知を離れる時、ツライ気持ちを聞いてくれた友人だった。

今回来れて、元気な様子が見れてよかった〜!
と、心から喜んでくれた。それを聞いて、あったかい気持ちになった。



元同僚にも再会した。元同僚から「佐藤さんが土台を作ってくれたから、今私たちが良い看護を提供したい、って思えるんですよ」と言ってくれた。

その言葉がまだ腑に落ちなかった。むず痒い、というか。お世辞を言われているような気がして。


元同僚が、1人の利用者さんと再会させてくれた。彼は、私が来る前に髭剃りまで済ませてくれ、私との再会を楽しみにしてくれていたそう。

彼は、再会してすぐ、とても良い笑顔を私に見せてくれた。

元同僚は「あの人の表情を見れば、佐藤さんが頑張ってしてきたことがわかるでしょ?」と言ってくれた。

彼と再会して、私がこの土地で必死で仕事してきたこと、それが何かしらのカタチで今も繋がっていることを体感で分かった。

やっと、これで自分の頑張りを認めることができた




友人たちとの再会で、楽しかった、うれしかった思い出をどんどん思い出していった。イヤな思い出が楽しい、うれしい思い出で上書きされていった

たくさんの人に支えられていたことも、ちゃんと思い出せた。


高知は私にとって「ホーム」のひとつだな、と実感した。

思えば、自分が「ホーム」と思える場所は、私が必死で生きてきた場所だ。

たった2ヶ月半のスペイン、サン・セバスティアンの短期滞在ですら、私にとっては「ホーム」。それくらい全力で生きたから。


たくさんの移住を重ねて、「ホーム」と呼べる場所、「おかえり」と言って貰える場所がいくつもある。なんて幸せなのだろう




今回の滞在では、大好きな鰻が食べられなかった。
残念だったけど、また高知に戻ってくる理由ができた、と思った。


帰る場所があるから、私は飛び立てる
また今日から。前に、そして上にぐんぐん進んでいく。

読んでくださり、本当にありがとうございます^ ^