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なぜワタシは「自分とは違うもの」に足を突っ込みたくなるのか

わたしは、自分とはまったく違う世界、コミュニティ、カルチャー、人の中に飛び込むのが大好きだ。


でも、首を突っ込みすぎて、パートナーから呆れられることもある。
「なんでヤバい、とか、合わない、って分かってるのに、めんどくさいことに足を踏み入れようとするかねぇ……」

うん、ほんとにそのとおり。入る前から「なんか怪しそう」とか「めんどくさそう」「ニガテかも」って、感覚的に分かっているのにね。入ってから、やっちまった~ってこともたくさん経験してる(笑)。


イヤ〜な気分も経験しているのに、なんで、真逆の中に飛び込んだろ?わたし、学習能力が低すぎ??(笑)でも、そういうことだけじゃなさそうなのよね。

とりあえず、自問自答してみた。


真逆の世界を「知りたい」っていう好奇心が優位なのは、間違いないと思う。あとは体感したい。本やネットなどでインプットするだけじゃなくて、実際にその場に身を置いて、実体験にしたいのだ。
海外留学も、さまざまな土地の移住も、ここから来るんだろう。

と、ここまでは、さまざまな違うものとの触れ合いの中で自己分析済み。


もう一つ、深堀りしてみた。そこで、新たに分かったこと。
わたしは、逆側を知ることで、じぶんの現在地を確かめたかったんだ。だって、わたしはできるだけバランスを取りたい、と思っているから。偏っているものに惹かれても、けっきょく中庸でありたくなる。

でも、いくら自分ではバランスを取ってるつもりでも、やっぱりどこかに数%でも傾いているもの。それも致し方ないし、自分のコンディションや状況で、現在地はきっと日々移動している。

偏っているのは仕方ないし、悪いことでもない。だけど、常に「今の自分の位置」を意識していたいし、確かめていきたいし、自分らしい位置、自分にとっての真ん中にちゃんと帰りたいのだ。


あとは、もーっと深いトコロの願いは「分断のない社会」であって欲しいんだと思う。そりゃあ世界中がそうあってほしいけど。まずは自分から。
……なんて、偉そうなことを言っても、わたしは気づけば偏見だらけだし、カテゴライズしたり、色メガネで見てることがたくさんある。人を見下したり、比べて安心しちゃうことだってある。

でも、偏見をなくすのは偏見に気づくところから。って昔、なにかで見たから。まずは気づくこと、認めることから始めている。


年齢も、性別も、国も、障害も、宗教も。
分断しない、でも依存もしない。自立していて、共生している、そんな社会。これが私の理想の世界。


まずは、わたしから。
依存しすぎたり、首を突っ込みすぎない程度に(笑)。

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より自分らしく生きたい人へ。 より自分の声に耳を傾けたい人へ。 より軽やかに人生を飛び回りたい人へ。 そんなあなたのきっかけになれたら嬉しいです♡

直感を受け取って、行動。また直感を受け取る…… そんな私のことを人は「チャネリング人生」と名付けました。 ……何じゃそりゃ?笑 わたしが…

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