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lesson 18  かかりつけ

 noteを始めるにあたって、政治経済や医療など今現在の時事的な話題は避けようと思っていた。

 世界はインフォデミックと言われるほど情報過多の状態で、noteの川も例外ではない。そういう模様の付いた船を流しても、私の記事が誰かの役に立つとは思えないし、それに関する私の個人的な感情を流しても仕方がないんじゃないかと思ってしまう(あくまで私の意見や記事は、と言う意味で)。

 しかしどうしても気になっていることがあって、それは今のご時世だけの問題でもないように思うので、ちょっと、書き留めておきたいと思う。

 「かかりつけ医」のことだ。

 このところ、ニュースで毎日「かかりつけ医」という言葉を聞く。「まずはかかりつけ医に相談していただいて」という言葉を耳にするたびに、「うちのかかりつけ医って、どこかなぁ」と思いながら1年半経ってしまった。

 我が家は転勤族だ。様々な土地を転々としてきた。子供が小さい頃は比較的よく病院に行くが、大きくなってくると病院のお世話になることが少なくなる。必然的に、新しい土地で各種病院に馴染みのないまま、年月を過ごす。

 「かかりつけ医」→「地域の基幹病院」→「専門病院/大病院」というシステムがあるのは知っているので、新しい土地では大したことのないことでもできるだけ病院に行くようにはしている。診察券とカルテがあれば、医師がこちらのことを覚えていなくても、困ったときは診てもらえるんじゃないか、という素人考えだ。

 転勤族は比較的大きな都市に住むことが多いのだが、そうなるとクリニックの数も多いし、やっとママ友や近所の知り合いができて口コミの評判をきいても行く病院も評価もバラバラだ。選択肢が多いのはいいことだが、結局はネット情報を頼ることになり、初めて行く病院では何もかも「いちから」で、相性が悪いとか、嫌な思いをする頻度も高くなる。

 生まれた時から住んでいる国だからまだいいが、外国から来て日の浅い方は「かかりつけ医」と言われても困るんじゃないのかな、と思う。配偶者が地元の人なら問題ないかもしれないし、ケースバイケースだとは思うが。

 病院に縁のないことは、非常に素晴らしいことだ。健康の証でもある。しかしあまり行かないので医師のほうから顔を覚えられていないことも多い。カルテがあるから「はじめまして」ではないにしろ、気持ち的には「はじめまして」だ。

 理想は、医師の方もこちらを知っていて「ああ。○○さん。前回××だったけど、その後どうですか?」なんて聞いてくれる関係が構築されていることだ。子供を見て「大きくなったねぇ」なんて言われるような関係だ。相手が親身になって話を聞いてくれるだけで、不安が払拭されることもある。

「かかりつけ医」といったら、一般市民はそういう懇意の関係のクリニックを思い浮かべてしまうと思う。

 ちなみに、日本医師会では「かかりつけ医」は次のように定義されている。厚生労働省のサイトでもこちらからの引用が載っていたので、基本的にはこれが「定義」なのだと思う。

「かかりつけ医」とは(定義)/なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師。

 新しい土地で「この病院(先生)をかかりつけにしたいな」と思うとき、患者側は「なんでも相談できる」「身近で頼りになる」という相互の関係性、信頼性を基準にしたいと思う。しかしたいていの場合、医師の側にとっては「多くの患者のひとり」に過ぎない。

 だから「自分はかかりつけ医だと思っていたが、医師のほうはそう思っていないようだ」とガッカリするようなことが、時折起こる。特にこの春以降、比較的年配の方が「なんだかそっけなかったけど、きっと忙しかったんだね」と言ったり、「たまにしか行かないからかもしれないが、知らん顔だった」と憤慨しているのもよく見聞きした。この不安なご時世で医師への質問が増えたからだろう。

 専門外のことは迂闊に話せない、と思う医師もいるだろうし、とにかく沢山の患者さんがいるから時間がないのもあるだろう。患者側も、ネットでみたとんでもない情報の真偽を尋ねたり、医者でもないのに変な「にわか知識」で診療や薬に文句をつける人もいるので、必ずしも医師ばかり責めることはできない。 

 今は医師の考え方も様々で、この1年ほどの間に、良く行く病院がちょっと変なことを言い出した、ということを経験した方も多いかもしれない。自分の得た情報と違うことを発信していたり、医師の言うことに納得できないこともある。それがあまり極端であれば行くのを止めるかもしれないが、たいていはグレーな感じで「ずっと行ってたし、他に変わったところもないし」と思う方がほとんどだろう。ただ、明らかに間違った情報を「先生のいうことだから」と鵜呑みにしてしまう人もいると思うから、怖いことだと思う。

 そんなわけで、ニュースで「かかりつけ医」という言葉を聞くたびに、複雑な気持ちになる。「かかりつけ医」というのがとてもいい考えだと思う反面、現実はどうなんだろう、と思ってしまうからだ。

 「顔なじみ」という言葉があるように、医師にしてみても「いちげんさん」の顔をいちいち覚えていられないということはあるだろう。忙しいのに同じ説明を、違う人に何度も何度も繰り返すことも、面倒だ、飽きる、ということもあるかもしれない。ほとんど来ない患者さんとの「関係」を構築するのは、とても難しいことだと思う。そこにドクターコトー的な親密度を求められても、辛いところだろう。しかもほとんど来ない、ということは本来、相手が健康で喜ばしいことなのだ。

 にんげんだもの(by相田みつを)

 そんなわけでこの1年半で、それまでよりも「かかりつけ医」の定義と、一般的な認識のズレ、というものを特に感じるようになった。「一方的に自分がかかりつけだと思っていればそれでよいのです」ということならそれでいいし、単純に「最初は近くのクリニックに」ということなら、感情的なすれ違いは生まれないと思うのだが…






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