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教科書の思い出 vol.3 紀行文ロマンティック『星の草原(街道をゆく―モンゴル紀行)』

教科書で出会った物語の、最後を飾るのは、司馬遼太郎さんです。
以前「シミルボン」というサイトで書いた記事を、加筆修正の上、転載いたします。
こちらは「シミルボンみらっち」の一部でもあります。
「シミルボンみらっち」と「教科書シリーズ」、両方のマガジンに入れておきます。

歴史と人間への温かな視線にハマる

【司馬遼太郎】

(2021.01.24 シミルボン初出)

 没後25年程経ちますが、ある程度人数が集まった無作為な集団で「司馬遼太郎の影響を受けた人」と問いかけたら、まだまだかなりの人数の手が上がるだろうと思います。

 今の若い方はどうかわかりませんが、昔若かった私世代(ご推察ください)の同輩の方々は、一度ならずも司馬遼太郎さんの洗礼を受けたことがあるはず。

 歴史への興味の一端を引き出されて、歴史が好きになった人もいるかもしれません。あるいは若い世代の方の中には、教科書や受験の時に問題文で出てきた、という人もいるかもしれませんね。

 私の司馬遼太郎さんとの出会いは、中学校の国語の教科書。
 遅咲きでした。

 「星の草原」というエッセイで、『街道をゆく』のモンゴル紀行の一部抜粋だったと思います。

 みじかい草で覆われた大地がことごとく道であり、なまじいの道でないために迷うことがなく、つまりは老荘の世界のような大地なのである。

 乾燥して水蒸気がすくないために、無数の星が瞬きもしないのである。日本の田舎などで見る星よりひとまわり光芒が大きく、それが実感的数量として何千万もの光点が、金属音を立てるようにして光っている。

 須田さんの黒い影が、あごをあげて天の川を見あげている。ぼう然と放下している感じが、神仙のようである。天の川というこの乳白色の星雲のながれが、実感として三十センチ幅で地平線から地平線へ大きく流れているのだが、天の川がこれほど長大な流れであるとは、この星空の下に立つまでは、ついぞ知らなかった。

『モンゴル紀行「星の草原」より』

 当時の教科書が「星の草原」をリライトしたものだったかどうか、わかりません。こちらの引用は、その後大人になってから手に入れた『モンゴル紀行』からの抜粋です。
 当時はただただ、眼前に広がるようなモンゴルの星空の描写に魅せられ、憧れを抱いたものです。

 ※この記事を加筆修正するにあたり、こんなサイトを見つけました。

 なんと公式ページがあり、当時のモンゴル紀行の旅のルートが地図に示されています。おお、これは中学の時に欲しかった資料!笑※

  司馬遼太郎さんは、当時はドラマ化や映画化も数多く、次々と夢中になって読みました。ここでは代表的なものしか出せませんが、紀行ものやエッセイなど、数多くの著作に触れました。

 超有名どころの名作は数あれど、やっぱりベタだけれど私の中での「推し」


そして同時期に書かれた


「司馬遼太郎の最高傑作は何か」というのはネットなどでも度々話題になるのですが、『燃えよ剣』は結構な確率で1位になります。私としては1位とか2位とかランキングするのは本当は微妙な気持ちなのですが。

『燃えよ剣』は、読んだ直後「面白いよ!これ!」と人に勧めたくなること請け合いです。主人公が魅力的に描かれている。「冷静に考えるとヤバイ集団・恐怖の新撰組」の話なのに何よりこれぞ青春!の爽やかな勢いがある。そして長くない。ちょうどよい調子で展開していくのが魅力なのではないかと思います。

 最高傑作1位の座を常に争う『竜馬がゆく』は、様々な人に「影響を与えた」と言わしめている名作です。かの将棋の藤井聡太さんも中学時代に『竜馬がゆく』を読んだとどこかでおっしゃっていました。

『燃えよ剣』の土方歳三も『竜馬がゆく』の坂本龍馬も幕末の人ですが、司馬遼太郎さんによって、それまでの血塗られたイメージを変え、キャラクターがぐっと押し上げられたのではないかと思います。『燃えよ剣』を読み終わると『トシー!』と叫びたくなりますし、これら作品がなければ大河ドラマもなく『銀魂』のヒットはなかったかもしれません。笑。

 思うに『竜馬がゆく』が長いのは、坂本龍馬が暗殺という謎を残す非業の最期を遂げたために、彼自身に焦点を置くと成り立たなくなり、周辺の事情を外堀を埋めるように描いていくよりほかなかったからなのではないか、と妄想しています。そのために多少冗長になった部分があるのではないか、と。

 その点『燃えよ剣』は最初から最後まで土方歳三に焦点があたり、ブレずに進んでいくので読みやすいです。

 司馬遼太郎さんの魅力は、何と言ってもその語り口です。体言倒置とか詩的な表現が出てきたりして「あ、今まさに筆が乗ってるな」と思うところが時折現れ、読者の私たちもぐいぐい惹きこまれてわくわくします。時には「FF外から失礼します」のように物語の途中で突如作者が現れ解説が入ったりします。そういった文体の好き嫌いはそれこそ別れるところでしょうが、それこそが、つまりは「魅力」というのの正体かもしれません。

 司馬遼太郎さんには、歴史を振り返る際、その時必死に生きた人々のことを愛おしむ温かな視線があったような気がします。歴史小説のエンターテインメント性を高め、身近な存在に感じさせてくれる司馬遼太郎さんの功績は偉大なり、と思います。

 司馬遼太郎さんは21世紀を待たずに1996年72歳で亡くなりました。亡くなる前に「二十一世紀に生きる君たちへ」というエッセイを遺しています。

 こちらは教科書用に書き下ろされたエッセイだったようですが、現在も教科書に載っているのでしょうか。

 今の子供たちや若い人が人生のどこかの時点で司馬遼太郎さんに出会い、時を超えてかつての私たちと同じように歴史小説に胸を熱くすることがあるとすれば、それもまたロマンだなと思います。



 ※この記事はメディアパルさんのこちらの企画に参加しています。


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