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ローローさんの記事

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トーマスクック編
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#トーマス・クック

林檎の果実…中東のフリーメイソン、マーク・トウェインそしてバグダッド鉄道〜トーマ…

ジョン・クック、「フリーメイソン」のパリ観光ツアーを手掛ける 1889年、フランス革命を迎…

アカシアの花…イギリス人金髪女性と駆け落ち結婚、セントルイスの万博の実態、そして…

 2008年以前にエジプト観光をしたことがあるお方。  アブデル・ハキーム・アウィアンさんに…

世界初のエジプトパッケージツアー物語〜「アレクサンドリア大図書館を見たい」「1500…

 昔、日本で旅行なんとか主任なんとか資格を取った時(証書はどこかに無くしました)、確か…

世界初のエジプトパッケージツアー物語・〜ナイルクルーズ蒸気船の誕生〜トーマス・ク…

 トーマス・クック氏は初のパッケージツアーのご一行様をエジプトに連れてきました。1869年で…

世界初のエジプトパッケージツアー物語〜スエズ運河を抜け世界一周「初」パッケージツ…

 1972年は、トーマス・クック旅行社による初の世界一周パッケージツアーからちょうど100年目…

世界初のエジプトパッケージツアー物語〜シェファードホテル物語編〜・トーマス・クッ…

 なかなか行けないエジプトですが、ISOISOさんが最近、なんとエジプトの旅をして来られました…

初の中東パレスチナ・パッケージツアー…ロックフェラーワイン、そして1000人のカトリック聖地巡礼ツアー〜トーマス・クックシリーズ ⑥

 以前、NOTEの記事にも以前書きましたが、アラファト議長と和平を結んだイスラエルのラビン首相暗殺時、エジプトのメディアは一斉に 「第五次中東戦争が起きる!」 とざわめきました。 「犯人はエジプト人に違いない」 と同じエジプト人たちがそう決めつけていたところが、なかなか興味深いものでした。 「イスラエル軍が攻撃してくるぞ、まずいぞ!」 「ああなんでラビンを暗殺したんだ!」  この時、ヨーロッパ人駐在員や留学生は早かった。すぐにカイロを離れました。知り合いのエジプト航空機

マイムマイムとNYのトーマス・クック、そして杉原千畝〜トーマス・クックシリーズ(番…

 家の向かいにイスラエル人一家が住んでいました。東京です。十年以上前の話です。その隣はフ…

いちじくの実Fig Leaves…メッカ巡礼ツアー、第一回アテネオリンピック、イスラエル建…

プロローグ 「将来、僕もスエズ運河のような運河を作る外交官になる!」(1869年) 1869年11…

オリーブの山 Mount Olive…ドイツ最後の皇帝とオスマン帝国34番目のスルタン…「パ…

ドイツ皇帝ードイツ旅行社ではなく、トーマス・クック社に依頼する 1841年に創立したトーマ…