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ローローさんの記事

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トーマスクック編
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#一度は行きたいあの場所

エルサレム征服・ハバナギラ(歓喜の歌)の誕生〜トーマス・クックシリーズ ⑰

アレクサンドリア港に到着した男(1925年) 1925年3月23日月曜日午後4時。  アレクサンド…

テルアビブ(春の丘)の誕生〜トーマス・クックシリーズ ⑯

映画「アラビアのロレンス」 1900年  出資はドイツ銀行、勅命はオスマン帝国のスルタン、ハ…

林檎の果実…中東のフリーメイソン、マーク・トウェインそしてバグダッド鉄道〜トーマ…

ジョン・クック、「フリーメイソン」のパリ観光ツアーを手掛ける 1889年、フランス革命を迎…

アカシアの花…イギリス人金髪女性と駆け落ち結婚、セントルイスの万博の実態、そして…

 2008年以前にエジプト観光をしたことがあるお方。  アブデル・ハキーム・アウィアンさんに…

世界初のエジプトパッケージツアー物語〜「アレクサンドリア大図書館を見たい」「1500…

 昔、日本で旅行なんとか主任なんとか資格を取った時(証書はどこかに無くしました)、確か…

世界初のエジプトパッケージツアー物語・〜ナイルクルーズ蒸気船の誕生〜トーマス・ク…

 トーマス・クック氏は初のパッケージツアーのご一行様をエジプトに連れてきました。1869年で…

世界初のエジプトパッケージツアー物語〜スエズ運河を抜け世界一周「初」パッケージツアーを売る→日本ブーム到来〜トーマス・クックシリーズ ③

 1972年は、トーマス・クック旅行社による初の世界一周パッケージツアーからちょうど100年目を迎えた年でした。  これを記念して、ロンドン・タイムズ紙はクックの1872年のツアーに関する記事(上)を掲載しました。1972年はインフレの酷い時期で、旅行自体が高額に値上がりしていました。(オイルショックの時期ですよね)  この記事では 「100周年を記念して、旅行代理店トーマス・クックが先着1000人に1872年価格で同様のパッケージ旅行を販売します」  しかし、記事をよく見

聖地パレスチナツアーからトラベラーズチェックが誕生しました〜トーマス・クックシリ…

「パレスチナツアーを正式に売り出す前に、現地の状況を調べるために自ら現地に下見に行くぞ。…

初の中東パレスチナ・パッケージツアー…ロックフェラーワイン、そして1000人のカトリ…

 以前、NOTEの記事にも以前書きましたが、アラファト議長と和平を結んだイスラエルのラビン…

マイムマイムとNYのトーマス・クック、そして杉原千畝〜トーマス・クックシリーズ(番…

 家の向かいにイスラエル人一家が住んでいました。東京です。十年以上前の話です。その隣はフ…

映画「タイタニック」とトーマス・クック…レヴァントへの想い〜トーマス・クックシリ…

1912年(明治45年) 「世界一大きな蒸気船タイタニック号に乗ろう。君の分も入れて3人分のフ…

いちじくの実Fig Leaves…メッカ巡礼ツアー、第一回アテネオリンピック、イスラエル建…

プロローグ 「将来、僕もスエズ運河のような運河を作る外交官になる!」(1869年) 1869年11…

オリーブの山 Mount Olive…ドイツ最後の皇帝とオスマン帝国34番目のスルタン…「パ…

ドイツ皇帝ードイツ旅行社ではなく、トーマス・クック社に依頼する 1841年に創立したトーマ…

蜜の溢れる地…イスラエル建国の父とドイツ皇帝の初エルサレム入城〜トーマス・クックシリーズ⑪

 2016年、トーマス・クック初ツアー175周年を記念し、この節目を祝うため、レスター鉄道駅員は火曜日午前10時以降に乗車する最初の175人の乗客にラフバラー行きの切符を5ペンス(1シリング)で販売しました。  そう、この175年前の1841年に、家具職人でバプテスト派の宣教師のクックは 「人々に禁酒を促す禁酒集会に参加してもらいたい」 と考え、レスターからラフバラーまでの12マイルを1シリングで500人を乗せる列車を手配しました。  2016年はちょうどその175年目と