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シロがいるから、生きてるのかも

激重タイトルですが、次は癌の克服について簡単に記します。
前談として、私のがん治療は腹腔鏡手術のみで薬物投与は必要なく、現在は術後の経過観察中です。そして、これを書き記して久しぶりに、自分が癌だったことを自覚する程度には、心は癌を克服できています。(油断は禁物ですけどね!)

シロに好かれたくてダイエットに励んでいた2021年春、そろそろか…と重い腰をあげます。大腸がん検査の受診を決意しました。

私はリンチ症候群という病気です。病名は後から主治医の先生が教えてくれました。遺伝子に異常があり、若年で癌を患う可能性が非常に高い病です。子供の頃、母が遺伝子検査を受けさせてくれていたので、自分の遺伝子に異常があることはずっと昔からわかっていました。リンチ症候群がどんな病気なのかも、勉強してまた詳しく記したいと考えています。

上記理由から、すぐにでも癌検査を行う必要があることはよく理解していました。ただどうしても怖かったのです。母とその兄弟が、次々と病に犯され若くして亡くなっている事実が。私も長くても40代ごろには死ぬんだろうなと。勝手にレッテルを貼っていたんです。

シロを好きになって、一緒に居たいと強く願うようになりました。
その頃は付き合うどころか、向こうは私のことをただの同僚としか認識していませんでしたが…
30歳。私にとっては癌ができていておかしくない年齢でした。本当に怖かったのですが、病院の門をたたきました。

結果、ステージ2と思われる癌が大腸から見つかりました。
写真で見る限りは、大腸の内側でできた癌が外側まで進行している様子が見受けられた為、当時はステージ2という判断でしたが、さらにリンパ節に転移しているかどうかが写真では判断が付きづらく、ステージ3の可能性、つまり全身転移間際の可能性があることも示唆されていました。
なんて馬鹿なことをしてしまったんだ、とたくさん泣きました。

シロにそのことを告げました。当時、彼は私と同じチームで働いていました。
彼はまだ転職してきて間も無く、私のサブとして仕事を覚えてくれている途中でした。「癌だった」「いつかこうなるのは分かってた」「入社してまもないところで申し訳ないが摘出してくる」と。
シロからの反応は意外でした。冷静な面持ちで怒られたんです…
「どうしてもっと早く病院に行かなかった?」と。
その理由は前述の通り、死を恐れていたことと、それまでは仕事が多忙で気力がなかったこともありました。しかしサブであるシロがしっかり仕事を覚えてくれるので、彼になら私のポジションを任せることができるな、と安心し有給を取れたのが、受診がこのタイミングになった要因でもありました。
…勿論、私が癌になって怒ったのは彼しかおらず、ビジネスパーソンとして自己管理がなってない、と叱咤を受けたような気持ちでした。図星でしたし…。シロの本意はわかりません。

面食らいました

既にコロナ禍だったので自分一人で入院し、10日間の入院生活を終えました。
(入院生活のことについてもまた別で書きます。)
おかげさまでステージ2だと思われていた癌ですが、実際にはステージ1でした。外側にまで進行してもいなかったしどこへも転移しておらず、癌とその周りのリンパ節を摘出して終わり、という結果でした。薬物治療ところか退院後はロキソニンの一つも飲んでいません。

現代医療の発達は凄まじいですね。自分の母が癌と闘っていたときは、一度手術すると1ヶ月は家に帰ってこなかったのに、私は10日入院して、翌日には仕事復帰していました。ありがたい話だと感じます。

シロには心から感謝しています。
入社して間も無いのに一人で大役を任され、私が入院する間際からずっとお腹を壊していました…当時はアイスの食べ過ぎだと言っていましたが(笑)ストレスやプレッシャーでお腹を下すタイプであることを、今は知っています。

支えてくれた友人もたくさんいました。辛いだろうに、結果を聞きに病院についてきてくれた子もいました。癌だったって告げたとき、一緒に泣いてくれました。
いつかみんなに恩返しができたらいいです。



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