会社の健康診断がきっかけで病気が発覚して入院した話#02
前回の続きです。
前回の記事はこちら。
会社の健康診断→近所の総合病院→腎臓内科に強い大学病院とステップアップしました。
③大学病院で再び腎生検(2022年5月)
2021年末、今度は大学病院の腎臓内科を訪れました。
紹介状とともに、腎生検で採った検体の再分析もしてくれて、やはり「膜性増殖性糸球体腎炎っぽい」ことは事実であると説明されました。
しかし、検体が足りないため、確定診断ができない!!
今後の治療方針を定めるためにも、もう一度腎生検をしてほしい、と言われました。
あの経験をもう一度?!?!
とかなり抵抗しましたが、確定診断が出せない以上どうしようもなく。
2022年のGW明けに2回目の腎生検を受けました。
なお、職場には病気のこと、治療のため1ヶ月程度の長期入院をする可能性があることをこの段階で伝え、仕事で迷惑をかけてはいけないから配置転換を希望し、叶えていただきました。
忙しかったけれど、やりたい分野の仕事だったので、異動は悲しかったです。周りも私の突然の異動に驚いていました。
2回目の腎生検もやっぱり辛かったです。
このときは処置後に吸収熱(微熱)がしばらく続くなどして、回復までに時間がかかりました。
このときの検体もなかなか議論を呼んだらしいですが、腎臓内科の権威といわれる先生にも確認いただく等、慎重な検討・判断をいただいた結果、膜性増殖性糸球体腎炎は一応確定診断となりました。
④いざ入院生活へ(2022年10月)
確定診断が出たら、なるべく速やかに治療するよう薦められました。
当初、GW明けに検査⇒翌月確定診断⇒7月入院というスケジュールを描いていたのですが、慎重な検討を重ねていただいた結果、確定診断が9月にずれこみました。
仕事の繁忙期を避けて夏休み前後に入院しようと思っていたのに…。
今から仕事の調整してどうにかなるかな?という不安がありました。
加えて、確定診断を待ってる間に父親が倒れて入院していたので、その対応にも追われていて、自分のことにかまけてる場合じゃない…とメンタルブレイク。
末期がんの父を看取るまで入院を延期することも考えましたが、周りの助言もあって、10月の入院を決意しました。
10月11日。
投薬治療のために入院しました。奇しくも、19年目の交際記念日でした。
職場には引継ぎを行い、仕事は何とかなるだろうと自分に言い聞かせ。
子どもたちに事情を説明し、義母の助力も得て、家庭も何とか回るように手配済。
父の件は夫と妹に協力してもらい、着替え等の差し入れや実家の換気をお願いしました。
入院までの間に父の手術に付き添い、介護保険申請等できることは行いました。当時は、コロナ禍だったので病院にお見舞いに行けなかったのが悲しかったです。
そして、それは私も同じで。。。
入院期間中の約1か月の間は、家族に直接会うことは叶いませんでした。
着替えの差し入れも守衛室経由。
夫や子どもたちとの会話は毎日LINE通話で行っていました。
入院中の父とも毎日夕食後に電話をして、今日やった検査の話や、食事の話、父の昔話等たわいない話をしていました。
電話越しではありますが、父とゆっくり時間が持てるようになったのは、入院の副次効果だと思います。仕事をしながらではできなかったと思うので。
治療は、ステロイドによる投薬治療を行いました。
入院中は、
プレドニン40mg
ラベプラゾール(胃潰瘍予防用)
ボグリボース(ステロイド糖尿病治療用)
タクロリムス(免疫抑制剤)
ダイフェン(抗菌剤)
といった薬を服用しました。
プレドニン以外はステロイド服用に伴う副作用の予防・治療用だったりします。
プレドニン服用により免疫力が大幅に低下することや副作用対策のため、最初は入院する必要があるそうです。
私も若干ではありますが、血糖値が上がってしまい、糖尿病治療薬を服用していました。毎食後に指に針を刺して血糖値を測るのがつらかったです。
また、入院当初は廊下側で周りの音や同室者のいびき等に苛まれました。
窓際をリクエストして、2週目には窓際に移動することができ、生活の快適さはだいぶ上がった気がします。
さらに、入院中に原因疾患がないか確認するため、各種がん検診も受けました。
子宮体がん検診は泣きながら受けました。
今思えば、ステロイドの影響で精神的に不安定だったのかもしれません。
入院中の話は、長くなりそうなのでまた別に書きたいと思います。
長くなってしまったので今日はここまで。
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