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出家≧子育て
うちの息子たちが小さかった頃、
マンションに暮らしていて長男は熱性痙攣7回、
次男坊はクループ症候群という持病があり声帯が腫れて呼吸困難になり、即吸入→即入院で6度ほど入院をした。
どちらも風邪が大敵であるが故、
鼻垂らした小僧が近付くだけで念で引き剥がしたいくらいの思いで暮らしていた。
だいたい、
寿司職人の夫の仕事の時間が長い。
代わりが効かない。
ビジネスパーソンを夫に持つ妻が羨ましかった。
子どもの風邪で仕事休めるのかよ!って思ったら
人生って思う通りにならないということと、
とにかく自分が子どもを見てるうちは何かあれば
私の責任だと思っていたし、
ひとたび熱を出せば寝てる間に何かあったら…と思うと眠れなかった。自分がトイレに入ってる間に物音がするとパンツを上げるのも忘れて小走りで様子を見に行ったものだ。
世の中にはもっと大変な想いをされている方もいることだろうと思う。
しかしその頃の私の精一杯だった。
ところが、
ひとたび元気になると男2人兄弟。
ろくなことしないんだよね。
「そんなことしたら死ぬよ!」
と、叫んだこと数知れず…。
マンションの小さな窓から空を眺めて
「はああああああ」とため息をついて気持ちを散らしていた。
なんだか子どもらが悪いことしたから
「出て行け!」っていうのも虐待っぽいし、
「お母さん出ていくよ!」っていうのも恐喝っぽい
その当時、真剣に(本当に真剣に)出家したい…と
考えていた。
ここまでの世俗を捨て、
出家できるならその方が楽になると大真面目に考えていたのだ。
そして、小さな窓から時折
「おかあさんは尼さんになりたいですー!
尼さんになって毎日ほとけさまを拝んでいたいですー!高野山に修行に行きたいですー!」
と叫んでいた。
マジな話。
小さな息子らは
「おかあさん!高野山に修行に行かないでー。
尼さんにならないでー!」
とそれぞれが右足、左足に抱きつきながら言っていた。何度もあったのでパフォーマンス化していて
子どもたちも真面目に引き止めているわけではない。とりあえず、こうしておけばおかあさんはどこにも行かない……と踏んでいたようである。
高野山とか尼さんとか意味わかってないんだろうけど、私は自分の希望を窓から叫ぶことが唯一精一杯のガス抜きだった。
しかしね、
時が経てば変わる。
育児の辛さも長くは続かないもので今となっては、
「半年くらい語学留学行ってくればいいやん」
と次男坊が言う。
息子たちは「好きに生きればいいやん」
と私のすることをなんでもええやんと言う。
半分は興味ないからと踏んでいる。
あんなに出家できるなら出家したいと願ったのに
私は今、出家は絶対したくない。
むしろ煩悩と世俗にまみれたい。
子育てを通じて修行したようなもんだし、
今がこんなに楽しくてありがたい毎日になったのは皮肉なことに子育てが辛かった分、日々のありがたみを感じれるようになったのだと思うと、在家で修行は可能であり、
お経など読まんでも生きてるだけで修行はできる。
子育て任期満了で身が軽くなった今、
出家したいと大真面目に考えてた自分。
高野山への憧れはなんやったんや…と思い出す。
今は煩悩と世俗という温泉に浸かって最高やん!
と思っている。出家などとんでもないことである
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