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すわ!お兄が鬱!エピソード2



2022年12月1日の夕暮れ、私と介殿(次男)は食事もせず、介殿の運転でお兄のマンションに向かっていた。


家から下道で1時間と少し、
なんで家の近くにマンション借りへんかったんや!

介殿はさほどお兄の生活や状況に左右されることもなく社会人一年目の仕事に邁進していたが、
その実私はというとほぼ寝ても覚めても「お兄」のことばかり。
夫とて同じで子煩悩な夫、
お兄の異変に一番我を失っていたような気がする。

親とはほんまにしんどいで。
連絡が取れないとは何が起こっているのかわからないブラックボックスである。
そんな時に明るい想像する奴おらんやろ!

介殿はさておき、
私は心の中で最悪のことも考えていた。

「生きていないかもしれない」

この日の出来事はのちにこのようなタイトルで語られる
「突入せよ!お兄救出大作戦」

マンションに着いて、まず介殿がドアを開けた。
そしてすぐ閉めた…「え!」緊張感が走る

「ゲームしとるで!」
「へ?なんて?」
「ゲームしとるで!」

警察の捜査よろしくドアを大きく開けたら
目を見開いたお兄がこっちを見てコントローラーを持っていた。

この時、お兄は「ヤバい」と思ったらしいが正直
「ゲームできるんや。生きてる!」の感情の方が大きくてお兄の後ろめたさなど「知らんがな!」であった。
そして恐ろしく汚い部屋に入って言った。

「帰るよ!会社の手続きは全部お母さんがすることになってる!病院の予約も心配せんでよろし!予約取ります!それで連れて行きます!荷物まとめて!帰るよ!」

そう言ったらイソイソと荷物を詰め始めた。
必要なものを車に積み終わり本人が乗り込んだ後部座席でのシートベルトの締めるスピードが爆速だったことは介殿と私のエピソード記憶として色濃く残っている。

介殿が運転席、私が助手席、お兄が後部座席に乗りゆっくりとイルミネーション輝く御堂筋を走る我が家の20年もののボロ車。

その時、おもむろにお兄が
「迎えにきてくれてありがとう。ほんまに帰りたかってん。迎えにきて欲しいって毎日思ってた」と言う。

「もっと、はよ言いや!すぐ迎えにきたのに!」

毒づく言葉と裏腹に息子が生きていたことに安堵した。

ゲームはずっと伏せっていたけどやっと起き上がれるようになって久しぶりにシャワーを浴びてゲームのスイッチを入れたところに突入されたらしい。
ほんまこっちはソレどうでもいい、「生きてた!」
が一番の収穫であった。

リアルタイムで夫にLINEしていたので、
お兄を連れ帰った日、夫は涙を流して私に
「ありがとう」を繰り返していた。

お兄曰く
「愛情は風呂の湯が溢れるほどにもらってる」と表現するほどに家族に愛されていても鬱ってなるんだよ…。

病気って残酷だと思う。
そして病気になりたくてなる人はいないと私は断言する。

寒い2022年12月1日の御堂筋の車内から見たイルミネーションが今も鮮明に映像としてスローモーションで脳内に残像している。
お兄を家に連れ帰った日の出来事である。

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