人間いたる処青山あり
「人間」は、人の住む世界・世の中という意味で「じんかん」とも読む。「青山」とは死んで骨を埋める地・墓地のこと。
幕末の僧、釈月性の詩「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば、復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん。人間至る処青山あり」
世の中どこで死んでも、骨を埋める場所ぐらいはある。故郷だけが墳墓の地ではないのだから大望を達するために郷里を出て大いに活動すべきである。
出典 精選版 日本国語大辞典から
日本では今の時期、卒業や入学があり贈る言葉として大いに羽ばたいてほしいと願う言葉です。
未来を描こうと生徒たちと話すと、「このくらいの学校だと無理だよね~」とか「大学だって大したとこに行けないし・・・」とか言います。
自分がいい大学に行けないのは学校のせいじゃないんだけどね。結局自分の努力で掴んだ子たちはたくさんいるよって言いたい。どうして今自分のいるところで諦めようとするんだろう。いい大学(偏差値の高い有名大学)に入るのは「勉強する」だけなんだよ。でも言い訳をしてしまう。出来ない理由を他に求めたら、それはずっとそうして生きていく事になるんだよ。言い訳なんて自分をごまかす手段でしかない。そして、自分をごまかすってできない。
じゃあ25歳になった時、君たちは何をしているか考えてみてほしい。
「サラリーマンかなぁ」
「ユーチューバーとかだったらいいよね」
「ネイルサロンやりたいなぁ」
夢があるようでないような返事だった。
小学校高学年の男子の将来なりたい職業のトップは「ユーチューバー」だそうで、確かに当たればすごいことになります。なんでもそうですが、「当たれば」なんです。アイドルだって役者だって芸人だって「当たってなんぼ」。誰でもつかめるわけじゃない。でもやってみなければわからない。
誰でもやってみなければわからないよっていつも思う。
夢を掴む努力ってものすごく大変なことだし、そのモチベーションを持ち続けられるかという自分との闘いなんだと思う。チャンスをつかめと人は言うけれど何もしなければチャンスはやってこない。
若い時に何もしないっていうのはもったいないよ
だって失敗したって取り戻せるし、その失敗から次は失敗しないようにって方法を考える。自分に合った工夫をしていくものです。恐れという気持ちがあるのは危ないところに行かないためのセーフティネット。それは大事です。夢を追うことは決して悪いことではないのです。ただ夢を実現させるにはものすごい努力と我慢とそして行動力が必要なだけ。それができる人たちが運をつかんで夢を実現させるんだと思います。
小さな夢でもです。
どこにいてもやれることがある。どこで死んだってたいしたことじゃない。この精神がこの言葉の意味なんでしょうね。江戸時代の僧侶が何を思っていたのか。いつの時代であっても、共通するのは最初から諦めないで生きていこうということでしょう。それはあまりにも自分の出自で諦める人が多かったということです。言葉の意味とその背景に思いをはせて、若い人たちに伝えたい。諦めずに努力した人だけが見える世界があると。
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