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19で婚約、21で学生結婚、偏差値38なのに渡米②

さて。キレたのは両親です。なにしろ私は、家に帰ってこなくなってしまいました。

彼(ダンナさん)の大学と私の大学の中間地点に彼がアパートを引っ越し、私はそこで朝ご飯。授業終わったらすぐにアパートに帰宅してバイトはアパートの近くに変更。夕飯も2人で食べて(なんならお風呂もアパートで)、家には寝に帰るだけ。朝6時に起きたら、またアパートへ行って朝ご飯作って一緒に食べる。おままごとみたいで、すごい楽しかったんですが、親にしてみたら(特に父親)たまったもんじゃないですね。

なにしろ。一流大学ではあるけど、音楽やってて2年留年。就職活動も失敗。それなのに米国に留学して大学教授になるという。しかも大学院試験を受けれてないので研究生といいつつ内実は無職。さらに会って1か月でプロポーズだと??その上、すぐにでも米国に行くっていっていたのに英語の試験(TOEFL)で高得点出さないといけないことが分かったから、まだ行けない、いつ得点出せるかも分からない。

親だけでなく、周りはひとり残らず異口同音に「騙されてる」と断言しました。大学入試に失敗して人生投げやりになってる私を米国に連れて行ってあげると人参ぶら下げて拉致するつもりだって。まあ、私もそういう他人がいたらそう言いますね(笑)

当時の中堅進学校の女子生徒の進路は主に3つ。国公立大学に行って学校の先生になる。短大に行って卒業と同時にお見合い結婚する。短大に行って数年、腰掛け就職して社内結婚して退職する。王道は3番目。私は小学校の先生になりなさいと言われて育ちました。クリスマスケーキという表現がメディアを賑わしていた時代です。クリスマスイブ(24歳)までは、みんな欲しがる。クリスマス(25歳)はギリギリ。それを過ぎると誰も見向きしない。婚前交渉はないのが前提で、でき婚は隠すものでした。

なので、娘を傷物(きずもの)にしたからには責任取ってもらおう、ぐらいの勢いです。私は大学の友達とは遊ばなくなっちゃって口もきかない。成人式のときは友達いないし引っ越してるのもあったし式には出ず。だけど彼(ダンナさん)とは写真撮る。世界は敵だと思ってました。親は本当に心配だったと思います(ごめんね)。結局、TOEFLの点を出すのに2年近くかかり結婚したのは大学4年生の夏。7月5日に結婚して8月に渡米。1か月一緒に米国で暮らした後、私だけ帰国して卒業後、再渡米しました。


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