たまには、過去の話を。

私が京大前期試験二度とも不合格だったのは、
現役の時も浪人の時も、

暗記するべきものと
考えて答えを導くものと
捨てるべきものの
区別がつかなかったからだなぁ、
と、今日急に腑に落ちました。

分からない問題を1問ずつ潰していこうとして、
考えることにただ時間を消費していた自分を否定するつもりは全くないけど、
単純に、時間内で赤本を解き続けることをしなかったからだなぁと…

それは今の私にも言えることで、
とにかく数をこなすことで見えてくることがあって、それは地道な作業だから一見無意味に見えて、実は構造を把握するのにいちばん確実だったりする。

でも考えて答えを導き出す力がなければ、
今私は生きていなかったかもしれない、とも思います。

結果的にセンター試験の成績だけで京都府立大学に不本意で入学することになったけれど、
府大での経験がなければ今の私はいないわけで。

杉良太郎ではなく森なかまに所属していたから森林に興味を持ったし、
F3にいたから自分に自信を持てるようになった。

高校生の時は超人気進学校の理系トップクラスにいながら、ホンマにあいつ賢いんけ?とか影で言われて、すごく悔しくて、
でも間違いなく勉強ができない自分がすごく嫌で、

間違えて理系来ちゃったなぁ…とか
自分はダメなやつだ…とか

ずっと思ってたし、大学に入ったら学歴コンプレックスまで背負ってずーっと苦しかった記憶しかないけど、全部全部必要なことだったんだな。


で、国語の成績だけがずーっと良かったのは、
日本語の前後の文脈まで読み取る力だけは
ありがたいことに身についていたから。

それはもちろん今でも活きているし、
だからこそマスコミに対して不信感を持ち始めて、ネットでの発信を仕事にするようになった。


今、地域課題×学びの場に興味があるのは、
人はきっかけさえあれば学び続け、変わり続けることができることを身をもって知っているから

自ら考え、行動することの楽しさみたいなのを
たくさんの人に知ってほしい気持ちがあるから

それは研究と同じ行為で、知的好奇心を最も満たしてくれる。
それが私は楽しいのだ、と気づきました。


自殺する若者が多いのは、
働きたくない、
将来の夢がない、
自由に生きたいけど生きる術がない
と思っている人が多いから。

つまり、自分自身が思い描く「やりたいこと」への道筋を描く力がないからですが、
その道筋への足がかりを自分で作ることができれば、未来へ絶望することもなくなると思うんです。

その足がかりの土台になるのは、
紛れもない貴方だけの過去で、
過去は捉え方次第で
輝くダイヤにも身を滅ぼすロープにもなる。


学歴コンプレックスやその他たくさんの
過去の“ロープ”を、
私が無数の“ダイヤ”に変えられたのは、
過去を財産にしようと思ったから。


鬱になったあと死ぬ気で生きようと思ってから、
就活を頑張り卒論を頑張り大学を卒業して
社会人になり、挫折を経験し。
時間も体力も有限で、それをどう活かしたら
より良い生き方ができるか、常に考えて
失敗も経験にすることで、価値は無限に広がると気づいた。
それから、なぜ?を繰り返すようになり。

失敗の自分起因の原因を探り、
成功するための仮説を立て、
挑戦し、
振り返ることを繰り返すようになったら、
わずか1年で商業カメラマンになることができた。

私がこれまでの経験で胸を張って自分の強みだと言えることは、

「自分の中の負の財産を正の財産に転換できる」

ことかもしれない。


「やりたいこと」への道筋は、
“ありたい姿”になるために今やるべきことを
過去への反省と教訓から導き出して
自分で作るものなのだ、と。

貴方の未来の可能性は無限大。

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