言語と心理的距離

みなさんこんにちは。Mioです。
色々あってカナダ生活が実は終わりを迎えています。その話は別でしようかなと思います。

今回はこの滞在で気づいたことに関して書きます。
僕も思っていた「英語さえできればいいよね」についてです。

まず、先ほど述べたこと、これは理論的には正しいと思います。
英語ができれば少なくとも日本では大きなアドバンテージですし一目置かれます(いい意味でも悪い意味でも)。英語はリンガフランカと言われるくらいに世界共通言語です。大きな国際機関の中で英語を第一または第二言語として設定してる機関は多いです。ビジネスマンなら英語ができると海外でも仕事ができます

僕が今回言いたいのは「それだけでいいのか」ということです。僕は今まで英語を「意思疎通のための道具」として見てきました。初めから僕の英語学習の目標は日本語だけでは知り合えない人を理解してみたい、ただそれだけでした。
しかし僕も海外に出るまでは「どんな人でも英語で会話ができたら理解できるからいいよね」と思っていました。会話がスムーズにできて、楽しい話ができて、それができれば十分だと。
これはある程度は正しいと思います。意思疎通ができていますからね。

しかし、2人の心理的距離を縮めるには、どちらかがどちらかの母語を喋る必要があると思います。
僕のカナダでの友人の中にはどちらかの母語を喋った人が3人います。
1人は僕の母語、すなわち日本語で喋っていました。
もう2人は彼らの母語、イタリア語でしゃべりました。
「相手が僕の母語を喋る」、「相手の母語を喋る」このどちらも経験したのでこのことはより重要に思います。
相手が自分の母語を喋るケースから考えましょう。
まず、嬉しくない人はいないですよね。少なくとも僕は見たことがありません。僕の場合は自分のことや文化などを理解してくれようとするのが見えるのでありがたく思います。
そして、多かれ少なかれ相手が自分ほど上手く話せないことはあるので相手を理解しようとすると思います。この時自分は相手に心理的に近づいていると思います。
逆の場合を考えましょう。
自分は相手より上手くないので同じ国籍の人と話す時より相手を理解しようとすると思います。ここで自分は相手に心理的に近づくと思います。
言語というのは習得に意欲と気力が必要ですから、多かれ少なかれ自分は相手の母語の習得に意欲があると思います。そのため楽とまでは言いませんが友達、恋人のためなら頑張ると思います。
また、僕は言語によって人格は多かれ少なかれ変わると思っているので第二言語でそれぞれが喋ると本当ではない人格同士で喋っている気がしてしまいます。少なくとも1人はありのままでいることが大切だと思います。

僕はこういった面から、恋人や親友になりたいのであれば、違う人の国籍の人と関わる時はどちらかの母語で話したほうがいいと思います。事実、先に挙げた3人は僕の中ではカナダで最も親しい友人です。

長くなりましたが、短くまとめると「言語を学ぶとより仲良くなれる」ということです。留学をする予定の人なんかは、このことを思い出してほしいなと思います。本当に生涯共にするような関係になるかもしれませんしね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?