ジェスチャー

みなさんこんにちは。Mioです。
今回はインスタストーリーでもらったお題から、ジェスチャーについて話しましょう。とはいえ僕は英語やイタリア語が少し人より喋れるだけの大学生なのでジェスチャーと言語の関係性について何の研究もしてきていません。また他の言語について何も知りません。なのであくまでこの記事はよくある「フィクション作品の考察」程度の信用度で読んでほしいと思います。また、僕の考えが違っていても心に留めておいてください。将来研究したときに答え合わせをしたいので。

まず、全言語で普遍的に必要なジェスチャーについて考えてみましょう。代表的なものに空間的なものの説明があると思います。物の形や大きさ、位置関係(方角)など。これは日本語でも英語でもなんでも用いられると思います。
また、強調したい場面も全言語でジェスチャーが用いられる場面だと思います。日本語でもプレゼンなどではジェスチャーが大事だと言われた記憶があります。また、イタリア語では感情が昂ったときに有名な手を花のつぼみのような形にして振るジェスチャーをする気がします。あと、個人的には肩が上がるような気も。

次に、日本語と英語におけるジェスチャーの違いについて考えてみましょう。

日本語について話しましょう。
日本語は相対的にジェスチャーは少ない方だと思います。理由として僕が考えたのは、日本語というのは双方の理解があって初めてコミュニケーションが進んでいくためです。これは話の理解という意味も含めていますが、理解できているかどうかという意味でもあります。そういう意味の双方の理解ができていない場合にジェスチャーというのは発生すると思います。
例えば、「ししおどし」の話題について話してるとしましょう。
Aさんがししおどしの話題を出しました。Aさんはもちろんそれが何かを知っているし、Aさんは相手のBさんも同様に知っていると思い込んでいます。なので、Aさんはししおどしの単語だけで通じると思ってそのまま会話を続けます。ここまではAさんから見て双方の理解があるのでジェスチャーは要りません。がしかし、Bさんが知らないとなったら話は変わります。双方の理解が取れていないためAさんはもう一回ジェスチャーを交えて説明しなければいけないことになります。
この場合でジェスチャーを使うかどうかは別としてこの流れで日本語のジェスチャーは発生すると思います(例えが変ですが知ってる人と知らない人が混在するというものがこれしか思いつきませんでした)。
また、理解の相違が生まれるだろうなと事前に予想がついていれば初めからジェスチャーが発生すると思います。上の例でAさんが Bさんはまだししおどしのことを知らないだろうな、と思っているとすれば1回目の説明の時点でジェスチャーが発生すると思います。
こうであるとするならば、双方の理解があればジェスチャーはあまり必要でなくなると思います。また、日本人は無意識に受け手の理解を確認しながら会話を進めていると思います。相槌が大事なのもそういうことだと思いますし、たまに「マニア」と言われる人が自分の趣味について早口になってしまうのは話したいのが先に来て受け手の理解の確認を忘れるからかなと思います(または、はなから理解されないものと思ってしゃべっているか)。

英語の場合はどうでしょう。
英語ではできる限り話し手が説明する必要があると思います。なので説明のためにジェスチャーを用いると思います。言い換えれば常に受け手は理解してないだろうな、と思いながら喋るということです。日本語でもこの場合は必要だと思うと話しましたが英語では常にその状況なわけです。では受け手の理解はどこで判断するのか、それは「発言がないこと」だと思います。英語では頷きが日本人ほど多くありません。相槌は口から発せられることが多いです。なので理解ができないことも発言で示されます。個人的にずっと目を見て同じ表情で聞いてくれているので話を続けていたら一から理解されておらず「わからない」と言われたことがよくあります。

僕は将来今勉強しているイタリア語の他にフランス語やスペイン語も英語と同じくらい話せるようになりたいと思っています。そしてそれが実現すれば言語によって行動や考え方が変わったりするのを経験したいです。そのときにまたいろいろな言語による細かな違いなどについて研究したいと思います。

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