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あなたから遠く離れて

この一連の恋文の悪質なところは、もう触れあえないくらい遠く離れた頃合いを見計らってから本人に投げつけてしまったところだ、と思う。男がたとえ苦し紛れの戯言混じりではあっても「好きだ」「そばにいてくれ」と口にしたときにのらりくらりと逃げつづけた女が、取り返しのつかないほどに離れてしまっておいてはじめて、「実はわたしもずっと好きでした」と迂遠な後朝の文をインターネットに放流してよこすのは、なかなかに醜悪なものだ。わかってはいる。それでも書かずにいられないわたしは、どこまでもずるい女だ。

ずるい女でいさせてくれるから、あなたのことが好きなのかもしれない。


だって、不確かな過去にしてしまいたくなかった。せめてあなたの中に、痛い記憶として残ればいい。叶わなかった恋の記憶として残ればいい。安っぽかった細部を切り捨てて、美しかった部分だけ思い出せばいい。そのためにわたしは、あなたの瞳の中に見た錯覚を膨らませて反芻しては言語化しつづける。あなたの胸に縋りつくように言葉を紡ぐ。言の葉ひとつひとつがあなたの身体に絡まるように。


Episode 8. Spring and Summer, 2019


確定的に距離が開いてから、あなたは不定期に「ただいま」や「おはよう」を送ってくれるようになった。好きな男の「日常」になるのは、少し嬉しくて、とてもこわい。わたしを愛でてくれる男の精神世界においてわたしがそれなりに映えるのはたぶん、わたしが孕む非日常性のゆえだから。

それでも、何も知らないけれど、たとえばあなたに、仕事を終えて家路を辿り始めるときに家に連絡するようなルーティンがあったのだとして、手癖でiPhoneを取り出して宙に泳いだ指先で、いまわたしに連絡をくれたのだとしたら嬉しいなと思う。抱きしめておかえりって言ってあげたいけれどもうできないから、せめて光の速さで返信を打とう。

女の職業は究極的には巫女か娼婦か看護婦しかない、などと誰かが言っていて、それならわたしは巫女になりたいと思ったのはいつだったかもう覚えていない。


あなたに何も望んだことはない。ただ、呼んだら応えてくれることが、いつもわたしにとってなによりの救いだったから、今度はわたしが、あなたの呼びかけに応えたり、ときには意味もなく名を呼んでみたり、する。

けれど、甘えすぎも良くないなと思ってわたしから連絡しないまま眠ってしまった翌朝iPhoneを開いたら、深夜2時過ぎにあなたから冗談めかした「会いたい」が届いていて、ああ、うれしい、と思った。たまには素直になってみようかとそのまま伝えたら、「俺も、毎日連絡したらウザがられるかなと思って自重しなきゃと考えてたところだった」と返されて、わたしは今さら素直になることの効用を知る。いつまでもつだろうか、わたしたちのこの感情は。

酔ったあなたが零した、「お前がそばにいたら人生は、無意味で無価値で楽しそうだ」は、わたしを口説く台詞としては最高だと思った。こんな夜こそ、わたしをめちゃくちゃに抱いたらすこしは紛れるのだろうに、今そばにいられないことが口惜しい。

忙しいことが分かっていた夜は、特に期待もせずに眠る前に「おやすみ」とだけ送ってiPhoneを伏せたけれど、わたしのメッセージから1分以内に「おやすみ」「また明日」が届いていたのを翌朝知り、ああ、どうしてこのひとはいつもわたしのほしいものをくれるのだろう、と思う。

わたしたちはたぶん、お互いの甘えに対して甘いのだ。わたしの幼さにつけこむあなたのずるさを消費するような関係を随分長く続けてきたけれど、わたしたちはいまおそらく、お互いの甘さとずるさをお互いに消費しあっている。これは等価交換になったぶん多少進歩があったと見るべきなのだろうか。それとも、より救いようがなくなったと見るべきなのだろうか。


深夜、初めてわたしから電話をかけた。「にんげんつかれる」と泣きついたら、「人間相手が疲れるの?自分がどうしようもなく人間であることに疲れるの?」と返ってきて、こういうところが好きなのだ、と改めて思った。あなたが酔った夜に理性を半ば手放してかけてくる、すこしだけ切実さの混じる電話とは違って、会話のトーンやペースは、五反田のモツ焼き屋で管を巻きあったたくさんの夜にむしろ近いような気がした。まだ、「懐かしい」とは形容できない。

疲れたときや泣きたいときに抱きしめてほしいのはまだやっぱりあなただ。なんの意味もないけれど。近くにいないと意味がないとわかってはいるけれど。

誰に宛てたでもない寂しさを、誰かに宛てた恋しさにすりかえれば、脳裏に浮かぶくだらないものごとを少しは減らせると、わたしはもう知ってしまっている。だからわたしはいつも、雑に色恋に走ってきた。


あなたが以前めちゃくちゃに酔って、「今夜、ロマンス劇場で」という邦画を観ている、一度お前にも観てほしい、と言ってよこしたことがあったのを思い出して観てみた。あなたがこんな可愛らしい映画を観ていたのかと思うとちょっと笑ってしまいそうになる。

「好きな人に触れずに生きていけると思うか」は、今のわたしにとっては痛い問いだ。「このひとはわたしで傷つかない」「このひとはわたしを傷つけない」という、ある種のとても冷めた信頼関係を、あなたはこのごろときどき崩そうとするなと思っていたけれど、結局わたしがあなたのことばに傷つくようになってしまっただけかもしれない。

――…生きていけないよ。わたしも、あなたも。

今日も明日も、あなたに触れたい。「帰ってこい」と、「そばにいろ」と、毎日あなたが叫んでいるのを知っている。今この瞬間その感情に嘘がないことも知っている。そして、それがいつまで続くかわからないことも知っている。

「愛とは何か」と問われたけれど、その答えをわたしが持っていると思う方が間違っている。曖昧に数年ぶんの時間を一緒に過ごして、良くも悪くも人間性の裏も表も見てしまうと、おそらくお互いに、全額ベットできるほどの愛はすでに磨耗している。理解度も許容度も随分深いところまで来ているけれど、それはただの赦しであって愛ではない。

多情な男と情の深い男は紙一重だ。都合のいい男/女がいつしかそれ以上の価値を持つことはままあるけれど、都合のいい男/女である/であったことによるメンタリティの歪みや「大切さ」のレベル感は、根本的には変わることがない。帰るなら、わたしを不安にさせない人のところにしか帰らない。


眠気に任せて猫のような駄々を捏ねたら、「なんだよ、お前が隣にいれば俺がどれだけ嬉しいかを可視化すればいいのか?」と言われて、exactly、という気持ちになる。たとえばあなたに「愛とは何か」と問うたとして、答えはわかっている。「そばにいたい、と思うこと」だ。「そばにいてほしい」の後ろに、「飽きたらどこかへ行けばいい」を付け足すのは、わたしが縛られることを何よりも嫌うのを知っているあなただからだ。それを余裕だと見ることも必死だと見ることもできたけれど、わたしは優しさだと解釈している。叶うなら、今はこの不自由ささえも愛してほしい。


若いころのあなたの写真をもらったので夜な夜な眺めている。今のほうがいい顔だ、と思う。あなたの目尻の笑い皺を思い出すと泣けてくるな、などと思いながら眠ったら、うっかりあなたの夢を見てしまった。相変わらずの強気な斜に構え具合に、夢の中なのにたしかに安堵した。あなたの夢を見た、は、わたしにしては甘ったるすぎる気がして言えなかったから、「今夜は夢に出ないでね」でごまかす。「昨日は出たのか。俺が会いたがってるからだな」と返してくれるあなたは今夜も臆面もなく甘ったるい。

深夜に届いていた「知ってるかもしれんが、好きだよ」に、明け方、「知ってたような気もする」と返す。好きな男が執着してくれるのは嬉しいけれど、忘れないでなどとおこがましいことを言えるわけもなく、わたしからは何も誓えず、ただ、季節が変わってゆくことを止められず、わたしはそれでも、幾許の真実が乗っているわけでもないだろうその「好きだ」に今日も救われてしまう。


こんなに離れてもやっぱり、あなたの身体の輪郭が恋しい、と思う。その場限りならば絶対に受け止めてくれると信じられたから、いつのまにか包まれることに随分慣れてしまっていた。恋人と呼べる関係性にある男が愛してくれたかつてのわたしからはもうずいぶん遠ざかってしまったけれど、あなたが触れつづけたわたしの核の部分は変わらないままだ。

けれどわたしはここで、あなたを思いながら、会えないままに、わたしの人生を生きているし、たぶんこれからも生きていく。あなたはわたしの歪みを愛でてくれたけれど、それとおなじかたぶんそれ以上に、わたしのつよさを愛してくれていたから、ここでこうして生きているわたしのことも、きっとそんなに嫌いではないだろう、などと己惚れたことを思ったりもする。




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